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古事放談  4-8  日留山人 [日本の歴史]

河内には藤原氏が定めた式内社が113社あった。この神社には戦前の官幣大社、国弊代謝の様に国から幣帛料が出されたのである。
 河内の113社の氏子に国から幣帛料が出されたことになる。これは伯耆の6社、安芸の3社に較べれば異常に多い。
 実は式内社には天皇を祀った神社は全く含まれてなかったのである。
 雲南系氏子が居る神社には幣帛料が全く無くて高句麗のスサノオ一族と素性が全く分らない祭神の神社に幣帛料がだされていた。 
 河内ではニギハヤヒを祀った4社と藤原の先祖天児命を祀った4社以外は神社の所在さえわからないのが半数だった。 異民族を祀った神社に天皇と同じ鹵簿行列で参拝するだろうか。
 雲南系神武天皇の敵ニギハヤヒと藤原の先祖の天児屋命とは同一民族と考えてよい。
 一言主神が倭の五王でないことには謎は解けない。倭の五王は中国のために忠節を尽したと奏上した記述が中国に残ったのである。
 河内は中国の植民地時代が二度あったのだ。


古事放談  4-8   102頁より引用


私からの一言
 愈々、一層に複雑になって来ました。
せめて、
幣帛料だけでも、勉強します。
http://nishinojinja.or.jp/faq/?id=107

「実は式内社には天皇を祀った神社は全く含まれてなかったのである。
 雲南系氏子が居る神社には幣帛料が全く無くて高句麗のスサノオ一族と素性が全く分らない祭神の神社に幣帛料がだされていた。」

国から、式内社には幣帛料が出されていたのに、「実は式内社には天皇を祀った神社は全く含まれてなかったのである」とあります。

 頭混乱です。しばらく、どうしてかを考えることにします。

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