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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 最大の古墳数は鳥取県 (1) [日本の歴史]

昭和56年4月に出版された最新の文献 〝謎の古代―京ο近江〟には京都や志賀の古墳について詳細が述べられている。
この中で古墳作りは4世紀から7世紀の間と書かれ、しかも政府の1972年の調査で日本一人口が少ない鳥取県が8000に対し、奈良は6000、京都は2500だったのである。
先づ古墳の年代を如何なる科学的根拠で4世紀以降とされたのだろうか。
日本書紀を学者はよく引用される。この崇神天皇の箇所に箸墓を作ったとあり、これは巨大古墳で現存している。
古墳の主については日本書紀の記述はゴマ化して卑弥呼と考えたい。
問題は崇神天皇を4世紀以降とすると、前稿で述べた様に、天皇の世継ぎは代々10数才で生れないことには、系図が成り立たなくなるのである。
越敷きを信用すれば崇神天皇はなくなられた年は258年であるべきで、巨大古墳箸墓は250年代に作られたことになる。



― 20 -  より抜粋


私からの一言
最大の古墳数は鳥取県
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309220659/

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この部分は、中断したいと思います。

始めの本文の12行だけをお読みください。

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