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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 最大の古墳数は鳥取県 (2) [日本の歴史]

イキナリ箸墓の様な巨大古墳が作られたのであれば、これこそ謎である。
 250年代に卑弥呼の墓が作られたとして、これ以前にすでに前方後円墳があったと考えては、如何なる不都合が生じるのだろうか。
 魏志倭人伝で卑弥呼は248年に死んだ、むしろ魏の命令で殺されたと解すべきだ。
 魏氏倭人伝に書かれた卑弥呼を共立 (これもウソ) した年は190年頃である。
 漢は北九州、吉備、山城等を占領していた。しかし、400年続いた漢は末期症状で184年には黄巾の乱が起きた。又188年には日本に進駐軍を出した漢の霊帝も死んだのである。
 黄巾の乱は恐らく日本との80年の長期戦に人民の不平が高まったのも一因ではなかろうか。これに更にスペイン風邪が重なって大量の死者を出した。
 日本に進駐していた漢軍はガダルカナルと同じ運命になって、日本軍に降伏した。これを卑弥呼を共立して、倭国大乱が収ったと体裁のよいことを書いたのだった。



― 21 -  より抜粋


私からの一言
 卑弥呼の名前が登場しますと、ネットでは、一杯記事がヒットしまして、読むのが大変です。
そうしますと、魏志倭人伝も登場します。少し、読んだだけで、魏志倭人伝に書かれていることは、信じても良い様に思えたり、中国人が書いたことは、正しいかどうかぐらいは、疑ってみても良い様に思えたりします。


① 「黄巾の乱は恐らく日本との80年の長期戦に人民の不平が高まったのも一因ではなかろうか」
②「これに更にスペイン風邪が重なって大量の死者を出した」

①②は、そんなことはあったなと、思い出していましたら、
「日本に進駐していた漢軍はガダルカナルと同じ運命になって、日本軍に降伏した」と記されています。
 簡単に、結論を導き過ぎるような気もします。

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