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村社 田後神社 [日本の歴史]

東伯郡長瀬村大字田後字西尾敷 鎮座

 祭神  建速須佐之男神
 由緒  当社創立は後花園天皇宝徳二年九月出雲国八重垣神社
     の御分霊を勧請し、田後産土大神とす、勧請の当初は字
     大ボンと称する地に社を建立し大宝天皇と崇敬す、大宝
     後と申すは宝徳の年号を因ろるによる、後代現今の地に
     移祭す、明治元年十月十六日田後社と改称同五年二月村
     社に列せられ、田後神社と称す、大正十年二月十一日
     神饌幣帛料供進神社にしていせらる。

 例祭日  九月十七日
 特殊神事 御供祭
       当社には往古より頭人と称する者五人ありて、年々
      交番に頭人頭を定め、陰暦十一月一日より翌年十月晦日
      交代す、頭人頭は一ヶ年肉食及び喪に触れず 服喪の場
      合は次の者に譲る、十一月朔日午前五時に御供祭を執行
      す、前日頭人全部海水に浴し社内清め参籠す、翌朔日午
      前二時の頃起床玄米六升を臼にて三杵半搗き、之れを玄
      米飯に炊き、中に大豆の炒りたるものと大根の六角形に
      切りたるものと鹽を加へ、之を神酒と共に十二膳の箸(閏
      年には十三膳) を添へて神前に奉り、残余は氏子民参拝 
      の上頂く神事極めて厳粛なり。

 建造物  本殿、幣殿、拝殿、参籠所、神輿庫、随神門

 境内坪数 二百に十一坪
 
 氏子戸数 百六十二戸
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