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郷社 三輪神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字小波字東岡畑鎮座

    祭神 大物主命、速須佐之男命、少名毘古那命

    由緒 当神社創立は崇神天皇の御子、大和国
       大神神社の御分霊を勧請せるものなりと
       云ふ、蓋し崇神天皇七年諸国疫病流行盗
       賊蜂起の際、国家鎮護の神として大物主
       神の幸魂奇魂を諸国に遷し祀り、大田田
       根子命をして大神を祭らしめ給ひしこと
       旧史に見ゆ、当社は則ち其の一なりと云
       ふ、昔時今の社地を距る七町餘東南の三
       南の三輪山に鎮座ありて、其境内東西八
       町南北六町餘三峰に分れ、東を宮広峰と
       云ひ中を鳥居峰と云ひ、西を堂の峰と云
       ふ、其他神主屋敷、神宮寺趾、及馬場的
       場等の遺址を存す、麓の耕地数町歩は、
       旧神領にして神田、飯田、筵他等の名を
       存せり、鳥居峰の下に宮井筒と称する清
       泉あり、流れて?川となる、三代実録に
       貞観十五年十二月二十日辛亥授伯耆國正
       六位上三輪神従五位下と、中古は東河彌
       陀川より西日野川に至る五十一村の総氏
       神なりしといふ、元徳の頃小波城主大石
       橋氏の祈願所たりしと、元弘三年佐々木
       清高小波城にこもり官軍の為に、焼夷せ
       られ、此の時兵燹に罹り当社の社殿及び
       神宮寺等焼失し、宝物古文書等焼失之よ
       り衰運に属し、往時の規模を保ち難く、
       正保二年三月今の地に奉遷す、彼の鹽川
       に於て往昔より毎年六月の祓敷を行ふを
       古例とす、其田古式の祭儀あり、旧藩主
       池田氏より社領の寄進あり、中間庄大社
       と称して崇敬厚く、明治維新に至りても
       春秋の神祭には政廳より供物を頒たれ、
       例祭には奉幣使参向せしめられたり、明
       治五年四月村社に列す、明治四十年四月
       二十七日新鮮幣帛料供進神社に指定せら
       る、大正五年十二月大高村大字泉字駄道
       ノ上鎮座無格社下泉神社(祭神素戔嗚命)
       を合併す。大正十四年十月郷社に列せら
       る。

    境内神社 鹽川神社 祭神 大日霎貴命、
         素戔嗚命
         八幡神社 祭神 誉田別命
   
    例祭日  十月十九日

    建造物  本殿、向殿、幣殿、拝殿、神饌所
         神楽殿、社務所、随神門
    境内坪数  千四十五坪

    氏子戸数  二百三戸
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