村社 上井神社 [日本の歴史]
東伯郡日下村大字土井字宮ノ峯 鎮座
祭神 国常立命
由緒 常神社寛文の頃は床大明神し称し、
貞享二年頃は常大明神、寛永の頃は
常宮大明神、常磐大明神等の社名あり
明治維新の頃上井神社と改称、其勧請
年月日不詳、明治四十年四月二十七日
神饌幣帛料共進神社に指定せらる。
例祭日 十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、寳蔵庫、参籠殿
境内坪数 千十三坪
氏戸戸数 百四十九戸
祭神 国常立命
由緒 常神社寛文の頃は床大明神し称し、
貞享二年頃は常大明神、寛永の頃は
常宮大明神、常磐大明神等の社名あり
明治維新の頃上井神社と改称、其勧請
年月日不詳、明治四十年四月二十七日
神饌幣帛料共進神社に指定せらる。
例祭日 十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、寳蔵庫、参籠殿
境内坪数 千十三坪
氏戸戸数 百四十九戸
大江神社 [日本の歴史]
東伯郡倉吉町大字仲之町字打吹山 鎮座
祭神 大江磐代君
由緒 当社の御祭神は倉吉町の御誕生にして光挌天皇
の御生母たり、御霊代は閑宮院載仁親王殿下の
御奉納なり、明治十三年十二月九日郷社賀茂神
社に合祀せられしを、明治四十五年五月十四日
神社創設を許可せられ、現社地を撰びて社殿を
造営、大正二年四月十四奉還す。
例祭日 四月十四日
建造物 本殿、幣殿、拝殿
境内坪数 三百十三坪
崇敬者戸数 二千五百七十五戸
祭神 大江磐代君
由緒 当社の御祭神は倉吉町の御誕生にして光挌天皇
の御生母たり、御霊代は閑宮院載仁親王殿下の
御奉納なり、明治十三年十二月九日郷社賀茂神
社に合祀せられしを、明治四十五年五月十四日
神社創設を許可せられ、現社地を撰びて社殿を
造営、大正二年四月十四奉還す。
例祭日 四月十四日
建造物 本殿、幣殿、拝殿
境内坪数 三百十三坪
崇敬者戸数 二千五百七十五戸
県社 波波伎神社 予備 [日本の歴史]
東伯郡日下村大字福庭字槇ノ木 鎮座
祭神 事代主神、下照姫神、天稚彦神、少彦名神、健御名方神、味?高彦根神、
狭依比賈命、多紀理比賈命、多岐都比賈命
由緒 伯耆神は国造り坐し、大国主大神の御子事代主大神なり、御鎮座の由来
は天祖天皇大神此豊葦原の瑞穂の国は皇御孫命の天壌無窮に可治国と、
武甕槌、経津主の二神を出雲国に降し給ひて大国主神に国譲の諾否を問
はせ給ふに、吾者不答我子事代主神答ふべきも、今三穂
以前に掲載しましたが、途中までしか表示されませんでしたので、再度、
投稿しましたが、同じように、一部しか、表示されません。
それだけではなくて、コンピューターに異常が発生したので、はじめから入力するように
指示がありましたので、再度、入力をしましたら、壊れたようでした。
次にありました指示に従いますと、一層複雑になり、私の頭ではお手上げです。
どうやら、私が書きました原稿に、良くないことが書いてあったらしく、自動的に、遮断
されたようです。
ということで、この記事は、投稿を諦めます。
という次第で、次の記事も投稿できなくなるかもしれません。
祭神 事代主神、下照姫神、天稚彦神、少彦名神、健御名方神、味?高彦根神、
狭依比賈命、多紀理比賈命、多岐都比賈命
由緒 伯耆神は国造り坐し、大国主大神の御子事代主大神なり、御鎮座の由来
は天祖天皇大神此豊葦原の瑞穂の国は皇御孫命の天壌無窮に可治国と、
武甕槌、経津主の二神を出雲国に降し給ひて大国主神に国譲の諾否を問
はせ給ふに、吾者不答我子事代主神答ふべきも、今三穂
以前に掲載しましたが、途中までしか表示されませんでしたので、再度、
投稿しましたが、同じように、一部しか、表示されません。
それだけではなくて、コンピューターに異常が発生したので、はじめから入力するように
指示がありましたので、再度、入力をしましたら、壊れたようでした。
次にありました指示に従いますと、一層複雑になり、私の頭ではお手上げです。
どうやら、私が書きました原稿に、良くないことが書いてあったらしく、自動的に、遮断
されたようです。
ということで、この記事は、投稿を諦めます。
という次第で、次の記事も投稿できなくなるかもしれません。
早稲田神社 [日本の歴史]
東伯郡舎人村大字宮内字寺山ノ二 鎮座
祭神 底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
表筒男命、中筒男命、底筒男命
由緒 創立沿革不詳、県社倭文神社の元摂社なり。
例祭日 十月二十五日
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数 八十三坪
崇敬者戸数 三十一戸
祭神 底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神
表筒男命、中筒男命、底筒男命
由緒 創立沿革不詳、県社倭文神社の元摂社なり。
例祭日 十月二十五日
建造物 本殿、神楽殿
境内坪数 八十三坪
崇敬者戸数 三十一戸
松神神社 [日本の歴史]
東伯郡下北條村大字松神字屋敷鎮座
祭神 猿田彦神、木花開耶姫命
由緒 創立年月不詳、往古より松本大明神
と称し大字松神の産土として崇敬せ
り、明治五年大字北尾鎮座村社八幡
神社を以て産土となし同神社の摂社
として社号を松神神社と改称せらる。
例祭日 四月八日
建造物 本殿、神楽殿兼通門
境内坪数 二百六十九坪
崇敬者戸数 八十五戸
祭神 猿田彦神、木花開耶姫命
由緒 創立年月不詳、往古より松本大明神
と称し大字松神の産土として崇敬せ
り、明治五年大字北尾鎮座村社八幡
神社を以て産土となし同神社の摂社
として社号を松神神社と改称せらる。
例祭日 四月八日
建造物 本殿、神楽殿兼通門
境内坪数 二百六十九坪
崇敬者戸数 八十五戸
村社 朝日神社 [日本の歴史]
東伯郡灘手村大字谷字五輪坂 鎮座
祭神 素戔嗚尊、菅相烝
由緒 創立年代不詳、古来牛頭天王と称して
灘手村大字谷及び鋤の産土神なりしが、
明治二年大庭社と改められ、其の後大
庭神社と改称、村社に列す、大正五年
十二月灘手村大字津原字下焼ス鎮座村
社津原神社(祭神菅相烝)を合併し朝日
神社と改称す、大正十一年一月八日神
饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿
境内坪数 四百四十三坪
氏子戸数 百十戸
祭神 素戔嗚尊、菅相烝
由緒 創立年代不詳、古来牛頭天王と称して
灘手村大字谷及び鋤の産土神なりしが、
明治二年大庭社と改められ、其の後大
庭神社と改称、村社に列す、大正五年
十二月灘手村大字津原字下焼ス鎮座村
社津原神社(祭神菅相烝)を合併し朝日
神社と改称す、大正十一年一月八日神
饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿
境内坪数 四百四十三坪
氏子戸数 百十戸
村社 大和山神社 [日本の歴史]
東伯郡灘手村大字別所字宮ノ上 鎮座
祭神 大物主命
由緒 創立年代不詳、従来大もり神社と称しへ
地方開拓の祖神として遠近の参拝者頗る多し、
明治二年大和山社と改め村社に列せらる、後大
和山神社と改称せらる、明治四十年四月二十七
日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 四月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門
境内坪数 五百五十九坪
氏子戸数 六十三戸
祭神 大物主命
由緒 創立年代不詳、従来大もり神社と称しへ
地方開拓の祖神として遠近の参拝者頗る多し、
明治二年大和山社と改め村社に列せらる、後大
和山神社と改称せらる、明治四十年四月二十七
日神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 四月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門
境内坪数 五百五十九坪
氏子戸数 六十三戸