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村社 大父神社 [日本の歴史]

東伯郡以西村大字大父字宮ノ谷鎮座

 祭神 宇迦之御魂命

 由緒 勧請年代不明、棟札によれば
    寛永七年四月?日奉建立と記せ
    るもの有り、昔は毎年二月初の
    卯の日に記念祭を行ふ、近世二
    月九日を定例となす、又田植祭
    とて毎年五月五日に神事を奉仕
    明治維新前迄は産土神稲荷大明
    神と称たりしが明治元年十一月
    大父神社と改称し村社に列せら
    る、昭和三年三月二十八日神饌
    幣帛料供進神社に指定せらる。

 例祭日 十月二十日
 
 建造物 本殿、参籠所

 境内坪数 三百二十一坪

 氏子戸数 六十戸
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船上神社 [日本の歴史]

東伯郡以西村大字山川字船上山鎮座

祭神 伊弉冉那美命、速玉男命、事解男命
由緒 創立年月詳ならず、元明帝の時赤衣
   師寺を建て智照権現の祠を建つ以後
   両部の霊場となれり、降て元弘三年
   二月名和長年後醍醐帝を船上山に奉
   ずるや、賊将佐々木清高兵三千を率
   いて来り襲ひ既に行在所に薄らんと
   す、此時帝親ら神社に戦勝を祈らせ
   給ひしに神感空しからず、忽ち雷電
   風雨起こり晦瞑?尺を辯ぜず、官軍
   此機に乗じ大に賊軍を破り?襟を安
   じ奉りしは、名和氏の誠忠に因ると
   雖も、俄かに雲を起こし雨を降らす
   が如きは実に神の冥祐に外ならざる
   を以て帝複祚の後社殿を壮麗にし邑
   地をも賜はりしに、後又土匪此山に
   ?り壮麗なる社殿は兵?に罹り、大
   に荒廃せるを以て国主池田氏より社
   殿を造営し、邑地四石七斗八升七合
   を寄付せられたり、明治十一年四月
   神仏の両部を廃し神社に復古せらる、
   当社の西南に奥宮と称ふる小祠あり、
   後醍醐天皇と大山祇命を祀ると云へ
   り、此の付近一帯往古の智積寺の寺
   跡にして十数の寺坊址を存す、船上
   山は後醍醐天皇八十余日の行在所た
   りし地、名和氏の功績を敬仰すべき
   所、而かも建武中興の大業も実に此
   の船上山より発祥せりと云ふを得べ
   く、本縣としては最も誇るべき史跡
   地なり、昭和七年五月三日史跡地と
   して指定せらる。


  例祭日   三月二十三日、六月二十三日

  建造物   本殿、拝殿

  境内坪数  六千五百坪

  崇敬者戸数 三百戸

お詫び
 今回は、本文の一行の次数を 少なくしましたら、 一回で、投稿が済みました。読みにくいですが、これで、一回で、投稿が済みました。

もう、投稿は無理かなと思っていましたが、続けることが出来ることが解りました。

この資料は、出来れば、多くの方に、保存して、利用してほしいと思っていますので、コピーして、ご自分のコンピューターに保存するときには、一行の字数を増やして、保存して頂ければと思います。 

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