大熊神社 [日本の歴史]
東伯郡以西村大字高岡字熊ノ原鎮座
祭神 素戔嗚尊
由緒 此大熊村は往昔山川村熊野権現
の氏子たりしが、其の中間に矢筈川
野荒流ある為常々の社参に支障屡々
なることありとて、字熊ノ原に霊岩
を設け傍に椋の樹を植えて磐境神籬
と為して崇拝し来りしが、寛正の頃
とか天変打続き加ふるに疫病の悩み
あり村民痛く憂ひ彼の霊岩の側に石
の小祠を造り三宝荒神と崇め祭産土
神と為したるなり、明治初年大熊神
社と改称せらる、明治七年社殿新築
大正十年維持方確率し、拝殿、幣殿
共新設せり、彼の椋の樹は今や五六
百年を経たりと云ふ日通の周囲三十
余尺に及び霊木として社頭に聳ゆ。
例祭日 十一月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、参籠所
境内坪数 百三十八坪
崇敬者戸数 三十戸
祭神 素戔嗚尊
由緒 此大熊村は往昔山川村熊野権現
の氏子たりしが、其の中間に矢筈川
野荒流ある為常々の社参に支障屡々
なることありとて、字熊ノ原に霊岩
を設け傍に椋の樹を植えて磐境神籬
と為して崇拝し来りしが、寛正の頃
とか天変打続き加ふるに疫病の悩み
あり村民痛く憂ひ彼の霊岩の側に石
の小祠を造り三宝荒神と崇め祭産土
神と為したるなり、明治初年大熊神
社と改称せらる、明治七年社殿新築
大正十年維持方確率し、拝殿、幣殿
共新設せり、彼の椋の樹は今や五六
百年を経たりと云ふ日通の周囲三十
余尺に及び霊木として社頭に聳ゆ。
例祭日 十一月十九日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、参籠所
境内坪数 百三十八坪
崇敬者戸数 三十戸