村社 日御崎神社 [日本の歴史]
東伯郡下中山村大字御崎字屋敷下通鎮座
祭神 天照大日?貴尊、素戔嗚尊、
五男三女神、大山祇命
由緒 天長年間島根縣國幣小社日
御崎神社の御分霊を鎮祭し
瀧上神社と称し、当時出雲国
日御崎神社宮司小野尊光の祖先
小野政重此地に移住し宮司とな
り、政昭、昭高(後高光と改む)
三代相継ぎて奉祀せしが、後昭
高別に祭主を置きて帰国せしが、
当時の領主厚く崇敬して?津の
庄を社領に附し境内に於て殺生
を禁じ国家泰平五穀成就の祈願
所とし、
このページは、数日前に、掲載しましたら、同じ所以下は、
削除されました。以前は、このような時は、上記のように、
半分の長さに書き換えますと、表記されましたが、今回は、
表記されません。
上手く掲載できないときは、ここまでとして、このまま、
保存したく思います・
[記事の続き]
旧幕府時代に至りて紋付幕及び灯燈を奉納せられ、
主又社殿修理費を献納して上下の崇敬甚だ厚かり
き、明治五年村社に列せられ、同四十年十二月十
九日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正元年
十月下中山村大字田中字浜ノ上鎮座無格社剣野神社
(祭神大山祇命)を合併す。
当社建立の際は出雲日御崎神社の古材を以て建立
せられ、出雲の日御崎神社造営の節は必ず当社も修
繕せらるゝを例とせり、現今の玉殿は日御崎の社よ
り寄進せられしものとなりと云へり、当社の北方境
内に接する地に検?屋敷と称する所あり、之れ天長
年間より延長六年迄殆ど百年間小野家の祖三代居住
せられし地なりと云ふ。
例祭日 八月七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神饌所、神楽殿
社務所、参籠所、随神門
境内坪数 六百二十四坪
氏子戸数 九十戸
祭神 天照大日?貴尊、素戔嗚尊、
五男三女神、大山祇命
由緒 天長年間島根縣國幣小社日
御崎神社の御分霊を鎮祭し
瀧上神社と称し、当時出雲国
日御崎神社宮司小野尊光の祖先
小野政重此地に移住し宮司とな
り、政昭、昭高(後高光と改む)
三代相継ぎて奉祀せしが、後昭
高別に祭主を置きて帰国せしが、
当時の領主厚く崇敬して?津の
庄を社領に附し境内に於て殺生
を禁じ国家泰平五穀成就の祈願
所とし、
このページは、数日前に、掲載しましたら、同じ所以下は、
削除されました。以前は、このような時は、上記のように、
半分の長さに書き換えますと、表記されましたが、今回は、
表記されません。
上手く掲載できないときは、ここまでとして、このまま、
保存したく思います・
[記事の続き]
旧幕府時代に至りて紋付幕及び灯燈を奉納せられ、
主又社殿修理費を献納して上下の崇敬甚だ厚かり
き、明治五年村社に列せられ、同四十年十二月十
九日神饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正元年
十月下中山村大字田中字浜ノ上鎮座無格社剣野神社
(祭神大山祇命)を合併す。
当社建立の際は出雲日御崎神社の古材を以て建立
せられ、出雲の日御崎神社造営の節は必ず当社も修
繕せらるゝを例とせり、現今の玉殿は日御崎の社よ
り寄進せられしものとなりと云へり、当社の北方境
内に接する地に検?屋敷と称する所あり、之れ天長
年間より延長六年迄殆ど百年間小野家の祖三代居住
せられし地なりと云ふ。
例祭日 八月七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神饌所、神楽殿
社務所、参籠所、随神門
境内坪数 六百二十四坪
氏子戸数 九十戸