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郷社 逢坂八幡神社 [日本の歴史]

西伯郡逢坂村大字松河字宮木   地図
http://www.jinja.in/single/86688.html

鎮座地 鳥取県西伯郡大山町松河原233番

祭神 誉田別尊、息長帯姫尊、田心姫尊、湍津姫尊、市杵島姫
尊、天照皇大神、素盞鳴尊、稲田姫尊、天穂日尊、活津彦根
尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、天之忍穂耳尊、大山祇尊、木
花咲耶姫尊、倉稲魂命、武内宿禰命

由緒 当社は貞観七年乙酉三月豊前国宇佐八幡宮より勧請せ
る所、最初は大坂郷大社宇佐八幡宮と称し、中古は大坂八幡
宮と号す最も崇敬厚き神社として多数の神田あり、又神官社僧
も多員ありて祭祀を奉ず、応仁以降国乱に当り神田廃棄神官
社僧も共に減ず、天文十二年五月(153)尼子晴久当社に祈願し
霊感ありて同年六月五日神田百二十石の寄附あり尋で義久勝
久皆先規を襲ふ(尼子氏の古文書三通現存す)此の時神官社僧
も再び増員す、豊臣氏の時百石を没収せられ僅かに二十石を
存ししを後中村伯耆守に悉く没収せらる、爰に於いて神田再び
絶す、神宮寺の僧侶はこの際に廃絶す、(慶長三年四月社殿火
災ありて旧記多くは焼失せり、神宮寺の遺跡として神社境内に
一小堂本尊薬師仏の像を安置せしが、慶応四年の秋神社取調
べの際廃らられ仏像は一時村内の仏堂に隠したるを今は神社
の宝物として保存す)寛永中橋汗入両郡領主池田摂津守利政
郷内岡村に住館、連枝誕生多く因て産土神と厚く崇敬せられ、
毎年祭典費若干寄附せらる、後国換に因て備前国に移転あり、
同十年十一月二十六日因伯の大守松平相模守社領高三石五
斗八升を永く寄附せらる、池田氏数世の後大蔵少輔知利に至り
備前
因幡に帰藩あり、旧に依て復厚く当社を崇敬せられ永く祈願所
として毎年金若干の奉納あり、弘化三年丙午の秋池田式部利
壽幕提灯等を寄附せらる。是より幕提灯はすべて池田家の紋
章を用ふ、慶応四年神社取調の際社号を逢坂神社と改められ
る、合殿武内宿禰命は本社創立の際より相殿に奉祀す、又倉
稲魂命は本社境内に末社と崇敬奉祀せしが慶応四年に合祭
す、明治五年二月郷社に列せられる、明治四十年二月三日神
饌幣帛料供進神社に指定せらる、大正六年四月逢坂村大字松
河字宮木鎮座無格社松河原神社(祭神 素盞鳴尊、稲田姫尊、
天穂日尊、活津彦根尊、天津彦根尊、熊野久須日尊、多紀理
姫命、狭依姫命、多紀津都姫命、正哉吾勝々速日天之忍穂耳
尊、天照大神) 同村大字岡字枝屋敷鎮座無格社岡神社(祭神
大山祇尊、木花開耶姫命、倉稲魂命 )を合併す、同年八月同
村大字殿河内字谷鎮座無格社殿河内神社(祭神 素盞鳴尊 )
を合併す、大正九年十二月社号を逢坂八幡神社と改称す。
 当社境外所有地逢坂村大字岡の海岸に接する小丘(雑種地
六畝十七歩)に隠岐神塚と称する地あり、往古の大坂港の地な
り、元弘三年閏二月後醍醐天皇隠岐国より伯耆に御潜幸、この
地の海岸に御着船御上陸、此の塚の上に御休息あらせられ、
それより名和氏船上山へ奉迎せしと云ひ伝ふ、小祠を存す、後
醍醐天皇を祀る、今此の丘上に後醍醐天皇御着船碑を建つ、
往年八代国治博士当社を視察し、或は後醍醐天皇の御祈願所
にあらずやと述べられしが、現に船上山智積寺住僧来りて遷宮
式を行ひし古棟札を存す。


境内神社 摂津神社 祭神 池田摂津守利政朝臣

例祭日 4月15日
特殊神事  筒粥祭  (1月15日)
      蛇 祭  (2月15日)
      神幸祭  (4月15日)
      菖蒲神楽 (5月5日)
      古伝祭  (8月15日)

建造物 本殿、拝殿、透塀、神饌所、神楽殿
境内坪数  1803坪
崇敬者戸数 410戸
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