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高砂神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字熊黨字四間割 鎮座

  祭神 素戔嗚尊、誉田別尊

  由緒 創立年代不詳、蚊屋島神社の摂社に
     して、祇園牛頭天王と称せしを、明
     治元年神社改正の際、高砂神社と改
     称せらる、誉田別尊は本村内に鎮座
     ありし八幡宮を同年合祀す。

  例祭日 十月二十六日

  建造物 本殿、幣殿、拝殿

  境内坪数 百十五坪

  崇敬者戸数 五十戸
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稲荷神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字今在家字佃鎮座

  祭神 倉稲魂命

  由緒 創立年代不詳、往古より蚊屋島神社
     氏子内本村の産土神にして稲荷大明神
     と称せしが、明治元年現今の社号に改
     称せらる。
  
  例祭日 十月一日

  建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿
 
  境内坪数 九十九坪

  崇敬者戸数 六十戸
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上部神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字蚊屋字八幡田 鎮座

  祭神 誉田別尊

  由緒 創立年代不詳、往古より蚊屋島神社の
     摂社にして八幡宮と称せしを、明治元
     年神社改正の際今の社号に改めらる。

  例祭日 十月二十五日

  建造物 本殿、神楽殿

  境内坪数 百二十七坪

  崇敬者戸数 三戸

コメント 
   崇敬者戸数 三戸は、これまでで、
   一番少なかった戸数だと思います。

   崇敬者戸数の意味は正確には分から
   ないのですが、軒数だと理解しています。

  このよに、少なかったのですが、新参もので、
  仲間に入れてもらえなかったのでしょうか。

  それより、何か、ルールがあったのかもしれません。

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高畑神社 [日本の歴史]

西伯郡磐村大字蚊屋字橋詰鎮座

 祭神 素戔嗚尊

 由緒 創立年代不詳、蚊屋島神社氏子内
    本村地内旧上部の産土神にして荒
    神宮と称せしを、明治元年神社改
    正の際今の社号に改めらる。

 例祭日 九月二十八日

 建造物 本殿、神楽殿

 境内坪数 三十九坪

 崇敬者戸数 十六戸 
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大岩神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字二本木字岩屋字岩屋畑鎮座

  祭神 素戔嗚尊

  由緒 創立年代不詳、往古より蚊帳島神社の
     摂社にして荒神宮と称し旧美濃村の産土
     神なり、、明治元年神社改正の際、今の
     社号に改めらる。

  例祭日 九月二十八日
 
  建造物 本殿、拝殿、神楽殿

  境内坪数 八十坪

  崇敬者戸数 三十九戸
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大畑神社 [日本の歴史]

西伯郡巖村大字二本木字大畑 鎮座

 祭神 素戔嗚尊

 由緒 創立年代不詳、往古より蚊屋島神社
    氏子内旧二本木の産土神なり、一本
    の檜樹ありて之れを荒神と称し崇敬
    す、明治元年神社改正の際今の社号
    に改められ、同十年社殿を創立す。

 例祭日 九月二十八日

 建造物 本殿、神楽殿

 境内坪数 百一坪

 崇敬者戸数 二十七戸
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茶畑神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字二本木字有田樋鎮座

 祭神 素戔嗚尊

 由緒 勧請年月不詳、往古より蚊屋島
    神社の摂社にして旧二本木の産土神
    なり、今の字有田樋に竹木雑生して
    陰鬱頗る古色を帯び古来より此の所
    をを荒神と称し崇敬す、明治元年神
    社改正の際茶畑神社と改称す。

例祭日 十月二十八日

建造物 社殿無し神木を祀る。

境内坪数 百三十五坪

崇敬者戸数 二十七戸
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岡成神社 [日本の歴史]

西伯郡大高村大字岡成字屋敷  地図
http://www.jinja.in/single/86057.html
鎮座地 鳥取県米子市岡成270番
祭神 速玉男命 泉津事解男命
由緒 創立年代不詳、口碑の伝ふる所に拠れば当地開拓の始に
当り紀伊国熊野三社の御分霊を勧請し来り、宇田川大明神と称
し、其東南の地に本宮大明神を建立し、西南の地に新宮大明神
を建立す、爾来宇田川湾頭の新開地及各地の原野開拓盛んに
行はれ、神社付近に村落発展するに至り、本宮大明神の所在地
を新宮村と呼びしが、後新宮村を岡成村と改称す、右の三社を土
人今に称して兄弟神と云ふ、往古本村高丸山の城主某氏当神社
を厚く崇敬、例祭には城主自ら家臣の壮丁数十人を従へで参詣
し、競馬の式を行ふを例とせりと、今社地の後に其遺跡を存し大
名馬場と称ふ、永禄年間杉原播磨守盛重伯州尾高城主たりし頃
当神社を崇敬し、社領を寄進し刀剣を奉納して武運長久を祈りし
と云へり、然るに戦国の世兵燹に罹り古書類宝物及什器等焼
失、之れより漸次衰退せしが、承応二年大神山神社を総氏神と
称し、当社を村氏神と称す、嘉永六年大神山神社の摂社となる、
明治元年岡成神社と改称す、同六年三月大神山神社の所轄社と
なり、同二十七年三月所轄社廃せらる。

境内末社 山口神社 祭神 素盞鳴尊、大山祇命、倉稲魂命

例祭日 10月19日
建造物 本殿、弊殿、拝殿、神楽殿、社務所、随神門
境内坪数 608坪
崇敬者戸数 99戸 

参考に
速玉男命----- http://homepage1.nifty.com/o-mino/page688.
html
泉津事解男命---ヒルゼン高原にある中和神社にも祀られていま
す。
祭神・大年神 久那止神 狭依比売 植山姫命 速玉男命 泉津
事解男命
次のページです。
私が考えた【淤能碁呂島考】
http://rakuraku.cocolog-nifty.com/tanosimu/2006/08/10_146c.
html
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新印神社 [日本の歴史]

西伯郡春日村大字下新印字道ノ上鎮座

 祭神 高皇産霊神、神皇産霊神、天津彦火?々杵神、
    木花開耶姫神、彦火々出見神、天忍日神、少
    彦名神、栲幡千々姫神、三穂津姫神、天道根
    神、天神玉神

 由緒 創立年代不詳、往古は今の上新印に鎮座ありて
    王子権現と称し、境内末社六社もあり、領主よ
    り社領等の寄付ありて崇敬厚き神社なりしが、
    往年日野川洪水の際本社末社共悉く流失、漸く
    御殿のみ守護し、下新印村荒神宮の社地に社殿
    を新築し、靈像権現と改め、?後本村の氏神と
    して崇敬す、萬治二年以前の古棟札は文字蝕滅
    年代詳ならざれども、以後の棟札に拠るに、神
    主禰宜神子数名の社職奉仕せしこと明らかにし
    て、往古は大社にして近郷に於ける古社なり、
    古は新印村と称へ一村なりしを、其の後上新印、
    三部に分れしこと社領証文に見え、旧社地は字
    王子原と唱ふ明治元年今の社号に改称せらる、
    明治四年四月蚊屋島神社の摂社に定めらる、天
    津彦々火??杵尊以下の神は当社の摂社梅宮大
    明神村内内字宮ノ前にありしを明治元年合祀せ
    らる、明治二十七年三月無格社となる。

 例祭日 十月一日

 建造物 本殿、幣殿、拝殿

 境内坪数 三百三十八坪

 崇敬者戸数 六十戸
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下郷神社 [日本の歴史]

西伯郡大高村大字下郷字荒神田鎮座

 祭神 素戔嗚命

 由緒 創立年代不詳、荒神社と称せしを
    明治元年神社改正の際今の社号に
    改めらる。

 例祭日 九月二十八日

 建造物 本殿、参籠所

 境内坪数 九十六坪

 崇敬者戸数 四十戸
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