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郷社 住吉神社 [日本の歴史]

西伯郡御来屋町字宮ノ前屋敷 鎮座

 祭神 底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命
   
    息長足姫命、大山祇命、大己貴命、

    事代主命、管原道真公

 由緒 当社創立年代不詳、往古は摂津大明神
    と称す(本社は摂津の國官幣大社住吉神
    社の分霊なること社帳及び棟札にて分
    明なり) 寛永六年八月正一位住吉大明
    神と改称せり、当時の宗厳宣旨奉告祭の
    奉幣串祝詞は現に貴重品の中に保存せり
    、旧幕府時代には西ノ庄大社と称せられ、
    藩主池田光仲公特に崇敬ありて社領高三
    石五斗五升及び葵蝶打交ぜの紋章幕と提
    灯の寄進あり、明治維新神社改革により
    郷社に列せられ住吉神社と改称せらる、
合祀事代主神は波止場に鎮祭あり、管原
    道真公は境内末社にりしが明治維新の改
    革により合祀せらる、明治四十年二月三
    日新鮮幣帛料供進神社に指定せらる、大
    正六年四月光徳村大字西坪字山王鎮座無
    格社西坪神社(祭神大山祇命、大穴牟遅命)
    を合併す。
    社伝及び古老の伝説に拠れば元弘帝隠岐
    より名和港に御潜幸の際土人戸屋助右衛
    門なる者所の鎮守住吉の社を暫く御座所
    となし当社に奉幣し給ひしと云ふ。

 境内神社 金毘羅神社、祭神 大物主命

 例祭日  十月十九日

 建造物  本殿、拝殿、神楽殿、随伸門

 境内坪数 千三百六十八坪

 氏子戸数 六百十五戸
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犬田神社 [日本の歴史]

米子市大字陰田字小天竺鎮座

 際神 大巳貴命、國常立尊、天忍穂耳尊
    木花咲屋姫命、武内宿禰命、道眞
    稲背脛命、

 由緒 創立年代不詳、往古より山王大明神
    と称し崇敬せり、以前は六十四石八
    斗九升の社領ありしと云ふ、其の頃
    神事式執行新鮮供物を洗ふ井筒に、
    御水井土、洗度井土、研井土ノ三
    所ありて今に存す、御旅所今は宮田
    と唱ヘ草原あり、其の後社領減少慶
    長六年極月二十六日中村伯耆守より
    神主居屋敷手作分として三石を附け
    られ、慶長十六年寅十月十八日米子
    城主加藤氏及び元和四年九月十九日
    藩主池田氏よりも中村氏と同じく取
    扱はれ、寛文七年六月二十六日社領
    一石八斗九升九合を先規により寄附
    せらる明治維新神社改正の際大田神
    社と改称せらる、往古より摂社たり
    し米子市大字陰田字北井垣鎮座衣那
    荒神社同市大字同字東天神谷鎮座北
    野神社、同市大字同字東天神谷鎮座
    北野神社、同市大字同字狸谷鎮座鷺
    神社を此の時合祀す。

例祭日 十月十九日

建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門

境内坪数 六百六十二坪

崇敬者戸数 六十五戸
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村社 日御崎神社 [日本の歴史]

米子市大字陰田字小天竺鎮座

 祭神 天照大御神、須佐之男命、天忍穂耳命
    天之菩卑能命、天津日子根命、活津日
    子根命、熊野久須毘命、多紀理毘賈命、
    市杵島比賈命、多岐都比賈命、速玉男
    命、事解男命
 
 由緒 創立年代不詳、往古出雲國神門郡字龍
    浦日御崎神社の御分霊を勧請せるもの
    なりと云ふ、合祭熊野神社は往古より
    の摂社なりしわと云ふ、合祭熊野神社
    は往古より摂社なりしを明治元年神社
    改正の際合祀せられる、明治四十年四
    月二十七日新鮮幣帛料供進神社に指定
    せらる。

例祭日 十月一日

建造物本 本殿、幣殿、拝殿、随神門

境内坪数 四百四十四坪

氏子戸数 七十五戸
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村社 阪本神社 [日本の歴史]

米子市大字長田字長砂鎮座

  祭紳 素戔嗚尊、別雷神、神倭磐余彦尊
     天照大日霎貴尊、大山祇命、日本
     武尊、素戔嗚命、猿田彦命、道真、
     誉田別命

  由緒 創立年代不詳、往古長砂郷七ヶ村
     の氏神にして宇安越に鎮座、妙釼
     大明神と称へ崇敬せしが、中古衰
     運に属し漸く式村のみ氏子となる
     長砂郷は長砂、観音寺、兼久、車
     車尾、中島、中島、海池、上福原
     是なり依て神社造営の際は右の七
     村より寄付金なせり、明治元年神
     社改正の際長砂神社と改称せんこ
     とを出願せしも、
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村社 目組神社 [日本の歴史]

米子市大字美吉字向山鎮座

 祭神 素戔嗚尊、道眞、久延毘古命

 由緒 創立年代不詳、往古より妙劔大明神
    と称へ崇敬せしを、明治元年神社改正の
    際目組神社と改称せらる、合祭天満宮は
    摂社なりしを此の時合祀せらる、昭和六
    年四月四日新鮮幣帛料供進神社に指定せ
    らる。

 例祭日 十月十六日

 建造物 本殿、拝殿、透塀、中門

 境内坪数 二百八十七坪

 氏子戸数 五十八戸
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村社 広田神社 [日本の歴史]

米子市大字西大谷字西ノ宮

 祭神 天照大御神、蛭子神、事代主神

 由緒 創立年代不詳、往古より広田大明神
    と称せしを明治元年神社改正の際広
    田神社と改めらる、昭和三年三月二
    十八日新鮮幣帛料供進神社に指定せ
    らる。

 例祭日 十月十日

 建造物 本殿、拝殿

 境内坪数 百二十二坪

 崇敬者戸数 百八十戸


<私からのコメント>
この記事は、おかしいですね。
 広田神社に改められたのが、明治元年なのに、
 昭和三年に新鮮幣帛料供進神社に指定とかい
 てあります。
 田村誠一氏が、このことを知られたのは、昭和
 三年に近い頃だったのではないでしょうか。

 沢山の資料を書いてきましたが、この資料は、
 どこかにあったものを転写されたのではなくて、
 全部、実際に、神社を訪れて、神社の方から、
 聞かれたのではないかと考えます。

 鳥取県の神社をすべて、歩かれたとどうして、
 思うかと云いますと、蒜山高原の山に登って
 居られます。
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簱崎神社 [日本の歴史]

米子市大字灘町字簱ヶ崎鎮座

 祭神 素戔嗚命、大穴牟遅神、少名毘古那神
    
 由緒 創立年代不詳ならざれども、往古より
    荒神宮と唱へ、勝田神社の摂社なりしが、
    明治元年神社改正の際今の社号に改称せ
    らる。

 例祭日 十月二十八日

 建造物 本殿、拝殿

 境内坪数 三百十九坪

 崇敬者戸数 四百八十戸
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村社 瀬戸神社 [日本の歴史]

東伯郡大誠村大字瀬戸字宮ノ前カノジ山鎮座
 
祭神 國狭槌尊、國常立尊、豊?淳尊

由緒  本社に係る書類等悉く大永年間の兵?に
    かかりしを以て今?に其の徴證するに足
    るものなしと雖も、蓋旧社の一にして元
    該村字飯ノ山と称する所に鎮座ありし由、
    然るに中古要害山の城主秋近氏該城鎮護
    の為めに今の湊山に移し奉りしと云ふ、
    昭和二年一月二十一日神饌幣帛料供進神
    社に指定せらる、大正三年十二月六日大
    誠村大字西穂波字大門鎮座無格社西穂波
    神社(祭神素戔嗚尊)を合併す、同五年五月
    十四日大誠村大字穂波字塚林西鎮座村社
    穂波神社(祭神天児屋根命)を合併す。

 例祭日 四月九日
 
 建造物 本殿、拝殿、神門、神輿庫、参籠所

 境内坪数 九百三十五坪、

 氏子戸数 百三十戸
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深浦神社 [日本の歴史]

米子市大字大工町字深浦鎮座

  祭神 素戔嗚尊、伊弉冊尊、迦具土神

  由緒 創立年代不詳、往古より祇園三社
     天王と称えしが、明治元年神社改
     正の際最寄産神となり、同五年郷
     社勝田神社の摂社に定められ、深
     浦神社の摂社にさだめられ、深浦
     神社と改称せらる、大正四年十一
     月米子市大工町鎮座無挌社愛宕神
     社(祭神伊弉諾尊、加具土神)を合
     併す。

  例祭日 七月十五日

  建造物 本殿、幣殿、拝殿

  境内坪数 二百六十五坪

  崇敬者戸数 三百二十戸
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村社 元野神社 [日本の歴史]

東伯郡大誠村大字原字東屋敷 鎮座

祭神 素戔嗚尊

由緒 創立年代不詳、往古より荒神社と称す
   当地中世以降当大字の中央なる平野山
   が其の頂上平坦にして且高燥なるによ
   り別に此の地に素神を祭りしが地の利
   を得たるにより終に平野社を部落の氏
   神として崇敬するに至りたるも、此の
   地は元より由緒ある旧跡なるを以て、
   里人は元宮荒神と称し今に尊崇絶ゆる
   ことなし、然るに明治十二年神社明細
   帳提出の際神社登録出願脱漏を遺憾と
   し、大正十一年六月二十日附を以て神
   社明細帳に編入方出願し同十一年十一
   月許可せられる、大正十三年十一月村
   社に列す、昭和三年三月二十八日神饌
   幣帛料供進神社に指定せらる。

例祭日  四月九日

建造物  本殿、幣殿、拝殿、社務所

境内坪数 五百六十七坪

氏子戸数 百十一戸
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