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佐陀神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字佐陀字上屋敷鎮座

 
 祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊

 由緒 創立年代明らかならざれども当国
    日野郡楽々福神社旧記に、佐陀大
    明神は人皇七代に当って當国悪鬼
    蜂起し国家動揺す、依て孝霊天皇
    之れを退治のため御幸せられ、國
    中悉く平定、此の時佐陀大明神を
    勧請せられしと、其他由緒不明、
    享保十二年社領一石三斗を附せら
    る。伯耆誌に曰く「祭神伊弉諾尊、
    伊弉冉尊と称するは誤りにて大己
    貴命蛆貝比賈とする旧説あり(田蓑
    日記に見ゆ) 又猿田彦神とする説
    あり爰に略す、当社は古へ大山佛教
    院当村の進太郎左衛門相共に議て、
    出雲の佐陀神社を移し祭ると云へり、
    今社地の傍なる一小民此進氏なり、
    旧は権神主にて古き棟札に其名見へ
    たり箕村進氏と一家なり、太郎座衛
    門が霊社社地に在り、貞享四年馬場
    村内藤氏が社帳に左田村進忠兵衛郡
    中社主に列して印判せり、又杉原盛
    重の次子影盛、兄元盛を討て後此の
    社地の傍に城を構へしが、幾ばくな
    らずして毛利氏に誅せらる」と、昭
    和六年七月村社に列し、同年九月二
    十二日新鮮幣帛料供進神社に指定せ
    らる。

 例祭日  十月十八日
   
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、神楽所、随神門
      仮殿

 境内坪数  千七十二坪
  
 氏子戸数  百三十四戸
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