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郷社 日吉神社 [日本の歴史]

鎮座地  西伯郡淀江町大字西原字浜  地図

現在地  鳥取県米子市淀江町西原767

祭神 大己貴命、少彦名命、猿田彦命、素盞鳴尊、建御名方命、武甕槌命、稚産霊命、保食
神、天日方奇日方神、蛭子命、稲脊脛部命、倉稲魂命、稲田姫命、稚日女命、天照大御神、
天之佐奈咩神



由緒 創立年月不詳、古来山王宮と号し郡内の旧社にて神領として若干の神田ありて、 米高
数石及び幕提灯等をも寄附せられ旧藩中特別に崇敬あり、然して郡中五穀豊穣風水干疫の
災を除去すべき祭祀を命せられ、累年之を執行ふことありしが、明治五年三月郷社に列せら
れ日吉神社と改めらる、社地内に佐奈咩サナメ池あり、汚穢不浄の者此池水を汲み嗽く時は
濁水となる、或いは寒中氷雪一円に張り其の凍氷の強弱によりて年中晴雨五穀塾否の吉凶
を卜うすること大古よりの故事なり、付近に摂社日御碕神社あり、衆庶の信仰厚し、此の神天
佐奈咩神なりしを中古神仏混淆の際改称して山王二十一社権化と称あれど、嘉永年度の神
名簿にも記載ありて神主安江陸奥、禰宜塚田才之進、神子櫃田かん等權頭の三職勤務祭神
を行ひしこと確証あり、御崎神社は全く佐奈咩神の元鎮座地にして、此所より当社地に遷転し
奉りしものにて、渡御の道筋を神事道と唱へ、供奉の神人山峰を越へし古道筋に輿懸岩、烏
帽子岩、笠懸松等の名残れり其道続きをキヅキ谷、神楽座神通と唱ふ明治元年十月神社改
正の際天佐奈咩神と決定せらる、明治四十年十二月十九日神饌幣帛料供進神社に指定せら
る、
大正二年五月二日 宇田川村大字福井字荒神谷 鎮座 無格社福井神社(祭神 素盞鳴尊)
 を合併す。
大正五年十月六日 
    高麗村大字保田字屋舗 鎮座 無格社保田神社(祭神 建御名方命)
    高麗村大字今津字村内 鎮座 無格社今津神社(祭神 素盞鳴尊)
    高麗村大字今津字村内 鎮座 無格社日御崎神社(祭神 武甕槌命)
    淀江町大字淀江字尾屋敷 陳座 無格社稲荷神社 (祭神 倉稲魂命、
     稚産霊命、保食神、天日方奇日方神、蛭子命、稲脊脛部命、素盞鳴尊)
    淀江町大字淀江字天王 鎮座 無格社淀江神社(祭神 素盞鳴尊稲田姫
     命)
    大和村大字平岡字向山 鎮座 無格社平岡神社(祭神 稚日女命)
    大和村大字小波字鹽入 鎮座 無格社日御崎神社神社(祭神 天照大御
     神、素盞鳴尊) を合併す。

当社往古は佐奈咩宮と称し、三代実録に清和天皇貞観十六年七月戌子、正六位上天乃佐奈
咩神に従五位下を給ふ、とあるは実に当社のことなり、後山王宮をも勧請せるものなりと、慶
長年中中村伯耆守の重臣横田内膳正村詮の寄進状にも佐奈咩神領、又は佐奈咩宮神主と
あり、戦国の世兵燹に罹り社殿焼失せしが、大永四年足利義政妾腹の子谷若狭守威安、淀
江村に居住せし時痛く之を嘆き社殿を建立せり、現に棟札を存す、其後吉川駿河守造営のこ
と慶長年中の棟札にあり、神領初めは三十六石、又九十石なりしを荒尾氏七石八斗に減じ、
藩主池田光政公米子入城の際、御参拝ありて、烏帽子、沓及び銀子若干を奉納せらる。
 付近に佐奈咩田、佐奈咩池、佐奈咩塚あり、何れも佐奈咩神のの旧蹟なりといふ。
 淀江町精明寺は元天台宗にして菊花山正明寺と称し、当社付近の山麓にありて当社との関
係深かりしといふ、又当社の境内に接し字神寺と称する所あり神宮寺の址なりと云ふ。

境内神社
 天神神社、祭神 瓊々杵命
 国津神社 祭神 素盞鳴尊

例祭日 5月3日
建造物  本殿、弊殿、拝殿、神楽殿兼神饌所
境内坪数 3066坪
氏子数  1000戸


私からのコメント 
 この記事は、これまでの記事と比べますと、 詳しすぎます。

 私が書いた記事は間違いありませんが、境内坪数や氏子数が
 多すぎます。
 要注意と書いて、保存してください。

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