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No83 再度・丹後半島の中国人 [日本の歴史]

丹後半島には、中国人が早くからやって来たはずだと考えました。そこで、No56~60までを費やして中国人を浮かびあがらそうとしました。が、やはり駄目でしたので、日本へやって来た人のトップのイザナギから考え直そうとしました。イザナギのことは、次第に詳しくなりますが、丹後半島の中国人とは離れていきます。
少し、方向を変えてみようと思います。
元々、どうして、中国人が丹後半島に来たと考えたかといいますと、確たる証拠はありません。間接的には、いっぱいあるからです。特に、丹後半島に拘らなくても、日本海の沿岸は、大陸から船でやってきますと、必ず、どこかに着くことになります。初めはどこにつくか判りませんが、その内に、着きたいところに必ず着くことになります。その代表は、地名の「福良」「福浦」です。この近くには、整形したと思われる山が必ずあります。人工的なものでは、巨大構築物です。100メートル近くあったという言い伝えのある出雲大社です。是などは、当初は高い塔だけがあったのかもしれません。小さなものでは、海に向かって立っている鳥居は、目印だったのではないでしょうか?
アマテラス大神や神武天皇は、中国の苗族の人を大量(100万人程)に、移民させたのではないかと思っています。その上陸地点の一つが、先に述べました「福良」「福浦」です。
 全国的にある「福」の字の付く地名は、丹後半島は少ないです。山が多くて寒い地方のためでしょうか? 現在でも、稲作は大変な地域なのではないでしょうか? 苗族の人は稲作の技術を持ち込んだ人たちと考えていますが、丹後には苗族の人は来なくて、はじめから中国人の人が入植したのではないでしょうか? 言い方を変えますと、中国人がいたから、苗族の人は上陸することが出来なかった。
住んでいた中国人は、何で生計を立てていたかといいますと、はじめから絹を求めてやってきたのではないでしょうか? これは推察だけで証拠がありません。
そこで、丹後半島は特殊なところだということを記し、判断はみなさんにしていただこうと考えています。
No56~60の文章とダブルかもしれませんが、つぎのようなことを頭に描いています。
① 丹後半島には、四隅突出型墳墓がない
② 籠神社はどのような神社か
③ アマテラスとスクヨミが、福知山に移動
④ ニニギ命が高天原から、高千穂に降臨
⑤ 開化天皇
⑥ 日子坐王、玖賀耳之御笠を殺す


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にじ

こんにちは。歴史を研究なさっておられるのですか。すっごくくわしいですね。(*_*)
わたしも歴史には興味があります。おもしろく拝見しました。
コメントをくださっているのにさっき気がついたので、返事を書いています。よろしければご覧ください。
by にじ (2005-11-06 09:27) 

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