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これからの日本(43) 歴史を知らない日本人(310) 如何にして戦うか(255) 韓国 [日本の道]

それにしても、韓国のひどさは、度が過ぎているように思います。
 そのように報道したのは、サンケイ新聞だけです。

 韓国、無礼極まりない暴挙 編集委員・河村直哉
 http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130815/waf13081514200009-n1.htm

産経以外は、閣僚の誰が、靖国神社に参拝したかの報道ばかりです。逆でしょう。だれが、参拝しなかったを報道すべきでしょう。国会議員のうち、名前だけでいいです。どうして参拝したかの理由など聞きたくもありません。 国民のうち、殆どの人は、靖国神社などに参拝などしません。靖国神社は、日本にある神社では異質の神社でしょう。普通は、慰霊を祀るのは、お寺でしょう。あのようやたらと大きな神社は、何時の時代でも、大きいほど、権威の象徴です。だからと言って、韓国の国会議員が、10人もやって来て、参拝もしないで、神社の前で、抗議のデモをするなど、世界で初めてのことでしよう。
 
韓国報道「日本右傾化」に在日コリアン痛烈批判…「反日いい加減にしろ」「韓国は日本に構ってほしい病」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/130805/wlf13080507000001-n4.htm


次の報道は、読売です。
新藤総務相・古屋国家公安委員長が靖国参拝
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130815-OYT1T00230.htm
 
読売の人は、韓国と戦争に成ったら、困ると思って、韓国の人を刺激することはしたくないのでしょう。
 こうして置けば、今後、韓国から入国を禁止されることは無いでしょう。でも、このような記事を書く新聞記者の書く韓国の様子など、読みたくありませんね。

 サンケイの河村直哉記者は、韓国に入国することは困難でしょう。できても、交通事故で死ぬことになるでしょう。

 
8月11日、大阪市東成区にある比売許曽神社に行ってきました。祭神は、下照比売命です。この比売は、大国主神の娘です。大国主神は、須佐之男命の孫です。
 ところが、この比売は、古事記に、「こは難波の比売碁曽の社に坐す阿加流比売神と謂う」と書いてあります。それだけではなくて、もともと、日本に居ましたが、新羅に行ったような話が書かれています。
阿具沼のほとりで、一人の女性が、昼寝をしている時に、輝く太陽を浴びて、妊娠し赤い玉を産んだ。その赤い玉は、女性に変身し、新羅の王子である天之日矛という人と結婚します。しかし、不仲となって、「吾が祖の国に行かむ」と云って、小舟に乗って難波に来たことになっています。
 
 女性が妊娠して赤い玉を産んだことすら、そんな馬鹿なと思いたくなりますが、その赤玉が、女性に変身したのも、訳が解りません。しかも、その変身女性が、生れたのが大阪の難波だった。その後、王子の天之日矛は、妻を追いかけて日本にやって来たのです。
 日本書紀にも、似たような話が書いてあるのですが、日本書記では赤い玉ではなくて、白い玉です。そして、時代は、垂仁天皇の頃で、王子の名前は、都怒我阿羅斯等になっています。
 比売許曽神社は、JR鶴橋駅から東400mに行った所に有ります。JR鶴橋駅は、近鉄が交わっており、近鉄鶴橋駅と同じ所に有ります。
 という事は、鶴橋と云う所は、重要な所だったから、鉄道がひかれたことになります。

どうして、このような神社の歴史を書く気になったかといいますと、産経新聞の記者が、「在日コリアン痛烈批判」と書いたからです。この記者は、コリアンの人が、後から鶴橋界隈に住んだような書き方をしていますが、間違いです。

 日本書紀の人の書き方ですと、垂仁天皇の頃ですから、西暦300年頃のことでしょうか。古事記の書き方を信用しますと、阿加流比売神は、新羅からやって来た人になります。紀元前の人です。

 杭全神社が、天王寺の東に有ります。こちらは、杭全町に有ります。この神社の末社に赤留比売命神社が有ります。杭全神社は、杭全町(くまた)に有ります。この町の西に、桑津という地名が有ります。桑を栽培したり、養蚕をしていた村だったのでしょう。「桑津」という事は、船着き場でしたから、海抜はこの辺りは、4~6mぐらいです。赤留比売命神社、杭全神社の末社というものの、杭全神社から500mは離れていたでしょうか。

 杭全神社と赤留比売命神、そして、近くに有りました中臣須牟地神社にも行きました。
8月4日のことです。
 須牟地神社は外にも、2つありまして、こちらは中国の呉の人たちと関係が有るようです。
呉の時代は、210年ぐらいになるでしょうか。
 神須牟地神社は、住吉神社の東に有ります。「神」が付いていますから、ユダヤ人が関係あると思っています。

 なんのことはありません。大阪城から、大和川辺りまでは、新羅、呉、ユダヤ人が入り乱れて、住んでいたことになります。
 新羅の最初の王は、神武天皇の兄弟の一人だという事になっています。
 新羅の人は、日本人と一緒で、ルーツは、チベットからやって来た苗族だと思います。

藤原氏が、日本書記を作ったのは、720年です。それから、200年ほどして、延喜という時代です。910年頃に、延喜式神名帳が完成しましたが、そこに掲載されている式内社は、河内と山城をご覧ください。
 新羅、呉、ユダヤ人は、湿地帯に追いやられて、藤原氏が支配する式内社に囲まれてしまいました。
 
式内社一覧表
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page257.html で確かめてください。

 比売許曽神社に祀られていた阿加流比売神は、下照比売命に代っています。

 
韓国の大統領は、韓国は、昔から、日本を助けて来たと声高に「歴史問題」と叫んでいますが、紀元前から、日本に逃げて来た人達なのに、歴史というものを取り違えていることになります。

 鶴橋の周辺を歩いて歴史を肌で感じてください。そして、お腹が減ったら、「焼肉」を食べてください。 安くて、美味しいですよ。

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