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小さな発見・新しい発見  式内社に囲まれた平安京(64)  木嶋坐天照御魂神社(2) [神社からさぐる歴史]

木嶋坐天照御魂神社 をキーワードにして検索しますと、沢山の記事を見ることが出来ます。
①神奈備 木島坐天照御魂神社
http://kamnavi.jp/mn/kinki/konosima.htm
 
ここに書いてある祭神は、
火明命 ---(神祇資料) 他の天照御魂神社からの推定
神社説明では以下の通り。
 天御中主命
 大国魂神
 穂々出見命
 鵜茅葺不合命

摂社 蚕養こかい神社 (東殿) カイコノヤシロ  祭神 保食神、木花咲耶姫、雄略天皇

このブログに書いてある記事は、どの記事も三行ほどの記事ですが、私も目にしたことは、すべて書かれたのではと思える程、記して居られます。では、木島坐天照御魂神社はどのような人によって作られた神社なのかと云いますと、どれも同じぐらいの信憑性があるために、「わからない」と云うことになります。
 この方の良くない所は、書いて居られる内容の出所というか、根拠が書いてないからだと思います。

② ウィキペディアに拠りますと、
木嶋坐天照御魂神社
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B6%8B%E5%9D%90%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%BE%A1%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE

こちらのブログは、フムロだけあって、根拠のある物だけを書いて居られます。

最初にかいてある文章を転載します。
 木嶋坐天照御魂神社(このしまにますあまてるみたまじんじゃ)は京都市右京区太秦にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。祈雨の神として信仰を集めている。
通称木嶋神社(このしまじんじゃ)。また、本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから蚕の社(かいこのやしろ)の通称が広く知られている。
 以上の事から、この神社は、出来た頃には、この辺りに住んでいた人の先祖を祀る神社として造られた筈です。所が、随分裕福になられたのでしょう。天皇家からも信頼されて、
降雨の祈願を明治元年神社改正の際られた様で、しかも効果もあったために、今日でも、「祈雨の神として信仰を集めている」という文章になったと思われます。しかし、インターネットで調べましたが、その証拠は見つかりません。

木嶋坐天照御魂神社の通称は、木嶋神社(このしまじんじゃ)と書いてありますが、意味が全く異なります。木嶋神社では、木嶋が人の名前なのか、地名なのかは判りません。

 奈良の菅原町にある菅原神社は、現在は、菅原天満宮ですが、祭神は、菅原道真ではなくて、祭神は天穂日命・野見宿禰・菅原道真ですが、元は、天穂日命のみであった
ことが分かっています。地名ももとは、菅原であったので、土師氏の出であった菅原道真の名前は、地名からもらったようにも推理出来ます。

 菅原に住む太郎と云う様に、地名が先に有ったのではないでしょうか。
このように考えてきますと、木嶋神社が通称としてつかわれていたという記事は、ほんとうだろうかという気がします。

 「蚕の社(かいこのやしろ)の通称」と云うのは、本当ではないでしょうか。
この名前は、普通に考えれば、神社と蚕がどのような関係があるのかは判りませんが、拝殿の後ろには、二つの社があります。

一つは木嶋坐天照御魂神社で、一つは、摂社の蚕養神社(蚕の社)ではないでしょうか。

ここまで書いてきましたが、私も、なにがなにやら訳がわからない神社だなと思っている所です。

 と云う次第で、①②は、使いますとややこしいので止めて外にないかと探していましたら、次のブログが見つかりました。次回は、これをもとにして、考えてみようと思います。
このブログは、写真も多いので、有難いです。

木 島 神 社 (木嶋神社) ・ 蚕 の 社 (右京区)
http://everkyoto.web.fc2.com/report375.html


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