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小さな発見・新しい発見 式内社に囲まれた平安京(72) 松尾大社 [神社からさぐる歴史]

平安京を含め、その周りを占める山城国だけで、122の式内社があることが判ります。

  【式内社と祭神】
 http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page809.html

この一帯は、奈良時代には、それほど人は住んで居なかったのではないかと想像しています。その後、時代の変遷があって、長岡京に続いて平安京が、日本の都と云うことになりました。
 新しく都を造ると云うことは、天皇が遷り住まわれるだけでは、都は出来ません。御所をとり巻く人等が、遷っても、村や町は出来ません。一般の人々が全員移り住みませんと都は出来ません。

 前回までに見て頂きました神社は、大津の日吉神社と京都の上鴨神社と下鴨神社です。
 日吉神社は大山咋神が祭神です。

 下鴨神社 (賀茂御祖神社)
祭神 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと) 西殿
祭神 玉依媛命   (たまよりひめのみこと) 東殿

上鴨神社 (賀茂別雷神社)は祭神 賀茂別雷大神
 
 上鴨神社と下鴨神社の祭神は、余り聞きなれない神の名前ですが、両方とも「鴨・賀茂」が付きますから、賀茂氏の人達ではないかと思っているのですが、調べる程に訳が判らなくなります。
 上鴨神社と下鴨神社は、京都の三大祭りの一つである葵祭りと大いに関係がありそうです。葵祭は、御所から出発して、下鴨神社と上鴨神社を経由して行われるからです。
 
鴨氏はどの様な人かと云いますと、ウィキィペディアに依りますと、次の二つの説があります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E6%B0%8F

天神系(賀茂県主)
神武東征の折に、八咫烏に化身して神武天皇を導いたとされる賀茂建角身命を始祖とする天神系氏族[。代々賀茂神社に奉斎し、山城国葛野郡・愛宕郡を支配した。子孫は上賀茂・下鴨の両神社の祠官家となった。また、賀茂県主は同じ山城国を本拠とする秦氏との関係が深い。---以下省略。

地祇系(三輪氏族)大物主(三輪明神)の子である大田田根子の孫大鴨積を始祖とする、三輪氏族に属する地祇系氏族。大和国葛上郡鴨(現在の奈良県御所市)を本拠地とする。姓は君のち朝臣。
大鴨積は鴨の地に事代主を祀った神社を建てたことから、賀茂君の姓を賜与された[6]。なお、現在鴨の地にある高鴨神社の祭神である事代主や味鋤高彦根神(賀茂大御神)は賀茂氏が祀っていた神であると考えられている。‐‐-以下省略。

 この二つの外にも、いろいろあって、鴨氏族は、重要な位置を占めていたのですが、
歴史から消されてしまったのではないでしょうか。

 鴨氏のことは、新しく書くことにしています、
【大和の式内社・訪問記】に書いてみようかと思っています。

と云うことで、桓武天皇を身動き出来ぬようにした人達は、日吉神社と鴨神社と下鴨神社の人達の外に、松尾大社の人達では無かったかと考えています。

松尾大社の祭神は、日吉神社の祭神と同じの大山咋神です。

『延喜式』神名帳において「松尾神社二座」と見えるように、松尾大社の祭神は古くから2柱とされている。
 現在は、祭神は、
• 大山咋神 (おおやまぐいのかみ)
• 中津島姫命 (なかつしまひめのみこと)

とされていますが、ウィキペディアの執筆者は、
中津島姫命は、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)の別名とする。

と記して、歴史をねじ曲げています。 中津島姫命は、宗像三女神の一人であることは確かですが、宗像三女神は実在しなくて、無理矢理に作られた神の名前だと思います。
 この話題は、
平安京と山城国 (33) 平安遷都(26) 賀茂御祖神社13) タキリビメ(5)『古事記を考える』
http://obitikuoosaka.blog.fc2.com/blog-entry-2550.html

の前後に書いています。ここでは、「タキリビメ」の名前を取上げて書いています。

 宗像神社の資料などと見比べてください。古事記や日本書紀などとは、一致しません。
 
先に書きましたが、『延喜式』神名帳において「松尾神社二座」とありますから、927年当時は、松尾神社であったものが、其の後、手が加えられて、昭和25年(1950)には、大社になったそうです。
 大社の名前が大切であったことが判ります。

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