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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(36) 小字名 [古墳から探る歴史]

林 博通著『大津京』52ページに、「大津北郊の小字図」が掲載されています。ここに、「御所の内」「御所大平」が並んで記されています。

 これでは誰でも、天智天皇の御所と関係が有ると思いたくなります。

木村一郎という方が、この御所は、「五条」の訛ったものだとして、大津京の街並を現在の大津市の繁華街まで包摂地域に求めたことを、林氏は著書『大津京』に記して居られます。
 これだけの文章では、ご理解が無理でしょうから、次の記事から、大津京を調べる為に、多くの人が、「小字」に注目された事を見て頂きます。

①「大津北郊の渡来人と大津京」滋賀大学付属図書館
http://libdspace.biwako.shiga-u.ac.jp/dspace/bitstream/10441/9168/2/%E5%9B%B322_p.1-4%20%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E5%A5%BD%E5%BD%A6.pdf
 この論文に、
大津宮之所在地は、『近江輿地史略』
http://shiga-bunkazai.jp/download/kyoshitsu/k231.pdf
によれば、大津宮の所在は錦織地区の「御所の内」にあったと記されている。

 このように、「御所の内」という小字名が記されています。

②林 博通著『大津京』には、木村一郎の説として、次の文を書いています。
木村は志賀里にある「太古塚」、「蟻之内」という字名に着目し、太古塚のタイコは「大極」の訛ったもの、蟻の内は「荒れの内裏(うち)の訛ったものと解し・・・・大津京の宮殿をこの滋賀里に求めた」と紹介しています。


御所のあった場所を求める為に、小字は大切とは思いますが、「太古塚のタイコは「大極」の訛ったもの、蟻の内は「荒れの内裏(うち)の訛ったものと解し・・」という訛り方は、少し、ひどい様に思われます。

木村一郎氏の説は、明治34年(1901)に出されたものです。

最初に書きました「大津北郊の小字図」は何時つくられたものとは書いてありません。
川の名前では、北は四谷川から南は不動川の範囲迄の小字名が書かれています。

この「大津北郊の小字図」から、私は別のことを考えました。
次回に記します。

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