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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(39) 小字名(4) [古墳から探る歴史]

 今日は、最後の小字です。

柳川と不動川の間にあった小字名を紹介します。
 前回は、北の方から、順番に、記しました。

今回は、北から3~4番目にある御所大平御所の内を中心に眺めながら、北から順番に紹介します。

御所大平と御所の内は、周囲の小字と比べますと、3倍以上の広さが有ります。両方とも、「御所」という地名が付けられていますから、ここに、天智天皇の御所が在ったと云い伝えられていたのだと想像します。 想像しますとは、証拠となるような記事を探しましたがありませんでした。

「御所ノ内」は小字名です。町名は、大津市錦町一丁目字御所ノ内です。
http://abe-sin.sakura.ne.jp/kesiki/siga/ootunomiya.htm

ここに書いてある通り、近江神宮前の駅より、北へ30mの地点です。地図が有りますが、下から二つ目の広い部分です。(写真もご覧ください) 今で言う、50坪ぐらいの一戸建ての敷地ぐらいです。
 このように考えますと、天皇の御所にしては、少し狭いですが、其の周囲は発掘されていないので、全体像が分りません。

 「御所大平と御所の内」の周囲の小字を記します。
北には、西から大将軍、王流が北に位置します。
西には、王子山(山麓)
東に派、松山、池尻
南には、南川、南海道  以上か「御所大平と御所の内」をとりまいています。

大将軍、王流、王子山の三つが、何かいわくがありそうな名前です。
例えば、王流の「王」天皇と関係あるのでしょう。「流」は、意味は関係なく、「リュウ」という音を表すのではないでしょうか。

さらに、北側にある小字名
 西側から、 久保田、惣田、鳥居川、雀ノ森、水生田、水越、小麦院、壱丁田、南柳(前回の北柳の川向かい) 、
「御所大平と御所の内」の南側にある小字名
西川から、前山、山田、不明、不明、細田、藤田、桜ノ町、小麦尻、
不明、不明、寺、平尻、原、砂子田、山?,中ノ田、堅田、北尻深い、スリコシ、北大江、南尻深、北山田、キトロ、出口、京田、南山田、下浄?、三本松

王子山の少し、北に位置する所に、漢字は異なりますが、皇子山古墳が有ります。
http://www.shiga-bunkazai.jp/%E6%96%B0%E8%BF%91%E6%B1%9F%E5%90%8D%E6%89%80%E5%9C%96%E4%BC%9A%E3%80%80%E7%AC%AC20%E5%9B%9E/

この古墳は、全長60mを測る、古墳時代前期(4世紀)の前方後方墳です。と書かれていますから、大津京とは関係ありませんが、「県内最古の古墳ではなくなりましたが、県内でも早い時期に造られた首長墓のひとつとして知られています」
この古墳は、中国人のお墓ではないでしょうか。

 どうしてかと 古墳の麓に、「錦織」という集落が有るからです。これは、中国人が、着る錦織を制作していた人ではないでしょうか。

ここに
取上げました小字は、いつのものか、書いてありません。古く共江戸時代でしょうか。 明治時代だろうと考えています。
 大津宮が遷されたのは、667年のことです。 

紹介しました地図は小字でいっぱいですが、 大津に都が遷都された時は、 、「錦織」以外は、周りは殆ど、人は住んでいなかったと思います。



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