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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(40) 小字名(5) [古墳から探る歴史]

次の地図は、いつの地図か分りませんが、浜大津と坂本駅近郊が表示されています。

坂本駅近郊地図 (大津近郷図)http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/images/001828029.html
 地図を拡大してご覧ください。さすがに、浜大津は住宅で埋まっていますが、終点の坂本駅は、寺院は一杯ありますが、周りは田ばかりです。国鉄の日吉駅は出来ていますが、駅の周囲でも、人家はありません。京阪大津線が、営業をはじめたのは良く解りませんが、今から100年前の頃の様です。
 地図は、その後のものですから、殆ど、人家が有りません。

地図を1900年頃のものとしますと、大津へ都を遷都したのは、667年ですから、もっと、人は住んで居なかったことになります。

現在の地図を眺めてみます
 次の地図が見易いです。
http://www.its-mo.com/search/area/25/201/

 「大きな地図を見るにしてください」
①神宮町と表示された所は、近江神宮の正面入り口です。 白色の太い線は、「神宮道」と称して、湖岸から、大きな参道が走っています。先端の柳が先まで、柳川が流れていましたが、湖西で一番氾濫したので、現在は、湖岸に向けて、真っ直ぐな川に改修されたと推理しています。 もう一本真っ直ぐに改修された川が有ります。探して下さい。外の川は全て、山麓から、南東の方角に流れています。 湖西全体が、北西から南西に傾斜していることが分ります。

②宮殿が在った所は、現在では、大津市錦町ニ丁目に確定しています。
 「大きな地図」では、近江神宮前駅の30mほど北の所です。電車のマークが有りますが、その左に、白い太い線が有ります。これは道路ですが、近江神宮に行かれます、この線上の辺りから、急階段の上に社殿が建てられているのが分ります。 山麓線も、錦織と近江神宮が同じとは限りませんが、等高線の入った地図を手に入れれば、確認できます。又、小字図からも推理可能です。
 
 大津京駅の西の辺りをもう少し、拡大してください。ここは歩きませんでしたから、自分での目では確かめていませんが、新しく造成された所で、階段状になっていると思います。

③この地図を使いました理由は、この白い道は、大津京の碁盤の町の中央の道路だと専門家は言っておられますが、この辺りから湖岸までは、700mもないところを見て頂こうと思いました。

④ 小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(37) 小字名(2)において、

全体にみて、湖岸に近い小字名は、面積が広いです。特に、湖岸寄りの一つの小字は、その西側に続く小字に比して、10倍ぐらいの広さが有ります。(四つ谷川から際川の間)

 これはなにを表すかと云いますと、比叡山の麓から、湖岸までの半分ぐらいは、田畑にも出来ない葦などが生えていたことを表していることに成ります。

林 博通著 『大津京』126ページにおいて、図81 「大津京周辺の遺跡」と題して、13個の古墳群を地図上にその位置を記して居られます。古墳群は、13ですが、古墳の数は、1000個を超えることが解かっています。 もう一度、すべての古墳がいつのものか調べ直す必要があると思います。

この地図の中に、波線を使って、
「大津宮時代の推定汀線」と破線の横に書かれています。現在の地図の汀線から半分ぐらいの所に表示されていますこの事実も、宮殿と関係無い所を調べ直す必要があります。もし、半分の所まで、湖岸があったのであれば、大津京は、半分のひろさにしても住む所は無かったことになります)

この「大津宮時代の推定汀線」は、著書の本文の中には、説明して居られませんが、すでに、紹介しました小字図を書かれたのは、林 道弘氏ですから、ご存じなのだと思います。

大津市には、大津宮は有りましたが、大津京は 存在しなかったことは、少し、中断しようと思います。

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