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小さな発見・新しい発見 滋賀県大津市の古墳(116) 壬申の乱(67) [古墳から探る歴史]

  このタイトルより以下の文章は、田村誠一著『壬申の乱は日唐戦争』の55ページの文章です。


中国偏向の日本書紀 (3)
日本書紀の記述を信用すると応神天皇は神功皇后紀元年に出生されたことになる。これから6代後が雄略天皇である。この間で履中、反正、允恭天皇は兄弟であり、安康天皇と雄略天皇も兄弟である。これを考慮に入れれば雄略天皇の曽祖父が応神天皇である。
 神功皇后紀の39年が仮に239年とすると応神天皇は201年生れである。雄略天皇が450年代に即位されたとすれば250年前に曽祖父が生れたことになり人道的常識に反する。これを干支二回り120短くすれば、皇太子は20才台の時出生されたことになり、常識的な値になる。日本書紀は干支を狂わせない様に60年単位でシフトさせた犯罪の手口がつかめたことになる。
 現古事記ではこの120年のシフトに合せるために、応神天皇と雄略天皇の享年を60年ずつ引延してあった。この享年を修正するだけで、16頁の年表(歴代天皇家年表)では応神天皇から雄略天皇までの皇太子が出生された時の年令が常識値になった。従って9名の天皇の享年が、60年ずつ伸ばしてある根拠が得られた。


私からの一言 このタイトルを見ただけで、読むのが嫌になる方が多いと思います。しかし、このページは、読み過ごすのではなく、書いてあることが、本当がどうか、ご自分で確かめてください。


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