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神話ではなかった古事記・葦原中国の平定(4) [日本の歴史]

 ウィキペディアをお借りしますと、

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)、あるいは妻木晩田遺跡群は、鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里遺跡(当時32ヘクタール、現在は調査が進み、約2倍の面積になっている)の5倍にもおよぶ大規模なものである。


妻木晩田遺跡群とも呼ぶことが判ります。幾つもの遺跡や古墳が集っていることが判ります。これで説明は良いのかも知れませんが、別のところでは、弥生後期の遺跡とされています。
 弥生後期とは紀元後1世紀から3世紀になるでしょうか。

 すると、大国主神がいた頃は、ハッキリしませんが、紀元前の人達ですから、大国主が許して貰った時より、2~3世紀後に大きくなってきた国になります。

しかし、大国主神が活躍していた時も、妻木晩田は大きくなりつつあったかも知れません。

 大国主神が治めていた国は、西伯郡の大国村倭です。 
「麦木」という地名は現在でもあります。見つけてください。

麦木晩田遺跡の位置が大切です。海岸まで、近いとか、遠いとか、海抜は。 周りに何
かあるかなどです。
西伯郡の大国村倭までは、距離がどれほどあるか。

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