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新しい日本の歴史(4)出雲天之御舎と天日隅宮と天日栖宮(7) [日本の歴史]

2回前の新しい日本の歴史(4)出雲大社の神殿(5)は読んで頂けましたか。

ここ暫く、出雲大社のことばかり書いていますが、ここでは、出雲大社と関係あるのは、古事記と日本書紀と出雲風土記であることを書いて居られます。

このように文献を考慮しますと、風土記も重要ですが、このように三つ並べますと、重要だけでなく、天之御舎と天日隅宮と天日栖宮という宮の名前が登場します。
 この三つの名前は、出雲大社が存在した時の宮の名前でしょう? なのに、どうして、
その宮を作らせた人の名前が、大国主神、大己貴命、天穂日命の三人の異なる名前が登場するのでしょうか。
 しかし、共通するのは、<千木が空高くまで届く立派な宮>を作ろうとしていたことが判ります。

一つずつ、天之御舎と天日隅宮と天日栖宮の宮の歴史が書いてあるのであれば、そのことが、事実であるかどうかを立証するのは、大変ですし、立証は困難でしょう。

しかし、この記事は、天之御舎と天日隅宮と天日栖宮という異なる宮の名前が有るぐらいですから、この三つの宮を作ろうとしている三つのグループの人々が、出雲にはおられたことになるのではないでしょか。

このように考えますと、風土記のことを調べる必要があります。
随分、以前に、風土記のことを調べようとしましたが、少し、始めただけで、自分の能力外の分野だと考えて、そのまま、忘れていました。


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