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応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳) [日本の歴史]

https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/shougaigakushu/bunkazaihogoka/bunkazai/iseki_shokai/kofun_chuki/2386.html
 
 仁徳天皇の次に、大きな古墳です。 手に入る資料は、上のアドレスをクリックして得られるものだけです。

①古墳を築造したときに使用した土の量は約143万立法メートルにものぼり、大仙古墳を上回っています。
 ということは、古墳を造る時に、高さを高くしたことになります。

 崩壊することを防ぐために、次の工夫をしたことになります。
ⅰ 墳丘は三段に積み重ねられ、斜面は一面に石が 葺(ふ)かれています。
ⅱ テラスと呼ばれる平坦な部分には推定2万本に及ぶ円筒埴輪が立て並べられていたと考えられます。5世紀前半頃の築造と考えられています。

土を高く積み過ぎた為に崩れたのか、濠が二つだったので、くずれたのか、判りません。
くずれた土は、濠をうずめた形になっています。

ⅲ 2万本に及ぶ円筒埴輪は、装飾では無くて、崩れるのを予防した様にも思えますが、逆に、崩れる原因になったのでしょうか。
  他の円筒埴輪が使われている古墳との比較検討が必要に思われます。

古墳を造る為に、使われた土の量は、下記の通り、大山古墳より多いことになります。この数字より、形は別として、造るときには、大山古墳よりは、背の高い古墳を造るつもりだったと思われます。

次に造られた大山古墳は、堀が三本ですから、 大山古墳を造るときには、誉田御廟山古墳の崩壊は、始まっていたのでしょうか。

誉田御廟山古墳 大阪府羽曳野市 425m 1,433,960
大山古墳 大阪府堺市 486m 1,405,866


「参考」
円筒埴輪
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%86%86%E7%AD%92%E5%9F%B4%E8%BC%AA&tbm=isch&source=iu&ictx=1&fir=0OhRwEGuxmMH5M%253A%252CD8YXKHC6_FOVBM%252C_&usg=__Smitthtf__uxPcEvR8Q-eHTrSGg%3D&sa=X&ved=0ahUKEwi70_-8te_bAhUL87wKHXuMApwQ9QEIOzAF#imgrc=0OhRwEGuxmMH5M:

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