倭・倭人関連の中国文献 [日本の歴史]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E6%96%87%E7%8C%AE
1.論衡 2.山海経 3.漢書 4.後漢書 5.魏志倭人伝 6.晋書 7.宋書
8.南斉書 9. 梁職貢図 10. 梁書 11.北史 12. 南史 13. 隋書.
14. 旧唐書 15. 新唐書 16. 通典 17. その他の文献
以上、厖大な資料が、中国に残されています。
これらの中国の文献には、倭・倭人に関することが記されています。ということは、中国では、日本のことは、「倭」という名前で、読んでいたことは、確かの様です。そして、住んでいた日本人のことは、「倭人」と呼んでいたことは確かと考えて良いと思われます。
それに対して、肝心の日本人は、自分達の国の呼び名を「日本」とも「倭」とも、表現したものは見つかっていません。
どうしてこのようなことになるかを考えてみます。
1、当時、日本人には、「国」という概念が無かった。
2. 日本語を表現する「字」を持って居なかった。
3. 当時でも、日本に渡来していた中国人もいた筈ですから、中国語で書かれたものが、日本国内に、残っていても良い筈ですが、どうして、残っていないのでしょうか。….
後の世に、日本人によって廃棄された。
4. 確か、日本書紀という国名が、日本の資料に現われるのは、7世紀頃だったと記憶します。
上記に記しました16以上の書籍は、何時頃のものか、調べていません。 きっと、2~3世紀の書籍ではないかと考えています。
5. 16以上の書籍は、中国には残っていますが、それを持って日本にやって来た中国人は居なかった。
6. 中国の書籍には、倭人が、中国に渡っていったことは書いてありますが、中国人が、日本へやって来たことは書いてありません。
7.日本人は、中国に朝貢したことになっていますが、どのような土産者を持って行ったかは書いてありません。
私は、日本の絹だったのではないかと思いますが、なぜ、絹とは書いてないのでしょうか。
1.論衡 2.山海経 3.漢書 4.後漢書 5.魏志倭人伝 6.晋書 7.宋書
8.南斉書 9. 梁職貢図 10. 梁書 11.北史 12. 南史 13. 隋書.
14. 旧唐書 15. 新唐書 16. 通典 17. その他の文献
以上、厖大な資料が、中国に残されています。
これらの中国の文献には、倭・倭人に関することが記されています。ということは、中国では、日本のことは、「倭」という名前で、読んでいたことは、確かの様です。そして、住んでいた日本人のことは、「倭人」と呼んでいたことは確かと考えて良いと思われます。
それに対して、肝心の日本人は、自分達の国の呼び名を「日本」とも「倭」とも、表現したものは見つかっていません。
どうしてこのようなことになるかを考えてみます。
1、当時、日本人には、「国」という概念が無かった。
2. 日本語を表現する「字」を持って居なかった。
3. 当時でも、日本に渡来していた中国人もいた筈ですから、中国語で書かれたものが、日本国内に、残っていても良い筈ですが、どうして、残っていないのでしょうか。….
後の世に、日本人によって廃棄された。
4. 確か、日本書紀という国名が、日本の資料に現われるのは、7世紀頃だったと記憶します。
上記に記しました16以上の書籍は、何時頃のものか、調べていません。 きっと、2~3世紀の書籍ではないかと考えています。
5. 16以上の書籍は、中国には残っていますが、それを持って日本にやって来た中国人は居なかった。
6. 中国の書籍には、倭人が、中国に渡っていったことは書いてありますが、中国人が、日本へやって来たことは書いてありません。
7.日本人は、中国に朝貢したことになっていますが、どのような土産者を持って行ったかは書いてありません。
私は、日本の絹だったのではないかと思いますが、なぜ、絹とは書いてないのでしょうか。
2018-06-28 02:16
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