SSブログ

日本はどうして「倭」と呼ばれたか [日本の歴史]

倭という実態はありません。いろいろの資料から、どうやら、日本と言う国は、始めは、「倭」と、中国から言われていたらしい程度で判ってきました。
 そして、倭と呼ばれる国が、その後、「日本」と呼ばれる様になったのが、日本の歴史の始まりのように思われます。
 勿論、その前に、縄文時代とか弥生時代というはありますが、やはり、「日本」がどうして、誕生したのかは、歴史を勉強する人にとっては、大切の様です。

「倭」は、「ワ」とも読みますが、「やまと」とも読みます。
どうして、日本では、「やまと」と読むようになったのでしょう。
素人ですと、考えは、此処までで、前に進みません。

「倭」をキーワードにして、検索しますと、
倭 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD#「日本」の前身としての「倭」
がヒットします。
「倭」という呼称[編集]
「大和」も参照
『古事記』や『日本書紀』では倭(ヤマト)日本(ヤマト)として表記されている。 魏志倭人伝では日本は邪馬台国と音文字で表記されている。 また『日本書紀』では夜摩苔つまりʎia mwɑ də もしくはjia mo tʰaiと表記されていた。
奈良時代まで日本語の「イ」「エ」「オ」の母音には甲類 (i, e, o) と乙類 (ï, ë, ö) の音韻があったといわれる(上代特殊仮名遣い)。「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと)であり、古代の「大和」と一致する。筑紫の「山門」(山の入り口)は"yamato"であり、音韻のうえでは合致しないので、その点では邪馬台国九州説はやや不利ということになる[3]。ただし、古来、「と(甲)」と「と(乙)」は通用される例もあり、一概に否定はできない[4]。
以上のことから解かることは、日本の資料にも、「倭」は、残されていて、『古事記』や『日本書紀』に有ることが解かります。
「やまと」という呼称は、「邪馬台国」における「邪馬台」は"yamatö"(山のふもと)と書かれた部分が、証拠になると思われます。

だんだん、納得できるような気にはなって来ましたが、この点は、多くの皆さんも、思われたのでしょう。
 みなさんは、それぞれ、自分の考えを記して居られます。

上に書きましたタイトルは、
井沢元彦著 逆説の日本史  封印された「倭のなぞ」の80ページのタイトルです。
 このページのタイトルは
第一章
 古代日本列島人編
の副題として、 日本はどうして「倭」と呼ばれたか のタイトルが書いてあります。
 このページは、235ページまで続きます。

井沢元彦氏は、「倭」について、説明するために、156ページも使って、解説しようと思われた事になります。

その後、日本では、「大和」と書いて、「ヤマト」と読む様になっています。

「大和」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%92%8C

nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。