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日本はどうして「倭」と呼ばれたか その2 [日本の歴史]

井沢元彦氏が 逆説の日本史  封印された「倭のなぞ」の80ページより。235ページまで使って書かれたことを私が、自分で書く事は出来ません。
そこで、井沢元彦氏が始めに書かれた部分を、紹介するだけで、「倭」に触れて頂こうかと思っています。

ページ80に、「倭」という国号にまつわる四種の説
というタイトルを記し、次の文章の書き出しで始まっています。

日本、この国はその歴史の初めには、「倭」と呼ばれていた。それが大和(やまと)になり日本になった。
二ページほど、省略して、

たとえば、最新の通史である『日本の歴史② 倭人騒乱』(田中琢著 集英社刊」)を参考に、これまでの考え方を示すと、と記して、次の四つの説を掲載して居られます。

A、日本列島人(原住民)が中国人に国の名を問われて、「我らの国」と答えた(つまり「ワ」)
と言った)。それゆえ、「倭」となった。 <卜部兼法・一条兼良・松下見林説>。

B、その頃の日本原住民が柔順な性質を持っていたので、その意味の「倭」を当てた<本居宣長説>。

C、原住民の体つきから見て、「背が丸く曲がって低い」という意味で「倭」を当てた<藤堂明保・金関丈夫説>。

D、日本列島は中国本土から遠い、そこで「はるか遠いところ」という意味で、「倭」を当てた。<岸 俊男説>。

なんのことは有りません。A~Bは、すでに、発表された「倭」に関する資料を四つ挙げられたことになります。
この後、著者である井沢元彦氏は、「少し、わかりにくいと思うので補足する」 と記して、235ページまで続きます。

「倭」と言う国が、どのような国であったかは、避けて通れない日本の歴史の部分であることが判ります。
井沢元彦氏は、卜部兼法・一条兼良・松下見林説と、本居宣長説と、藤堂明保・金関丈夫、岸 俊男の研究を利用して、自分の論文を形成して居られる事になります。

多くの方が、アタックされた「倭」ですが、私はA、B、C、D の中で、どれに賛成するかと言いますと、案外、

Aが一番、正しいのではないかと思います。

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