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絹戦争(17)  - 日留山人氏 - [日本の歴史]

蚕を飼うことは人手を要することだ。錦を織る繊細な技術は日本人独特のものである。従って315年頃までは、中国軍の将校が、絹産地を支配した。
 ヤマトタケルはこの親玉だけを殺せばよい。住民は全て、神武天皇が導入した、天皇の恩恵を受けた人達だから、ヤマトタケルと一緒に、敵を倒すことが出来たのである。
 このあと再び絹はユダヤ人によって、西域に運ばれた。正倉院の御物は、ユダヤ人が、物々交換にもたらしたものだ。
 中国は楽浪絹の産地を失った。しかも黄土地帯では桑は育たなかった。
 シルクロードに運ばれた絹は全部、日本のであり、一時期は中国人が日本占領中だけは中国経由もあり得ただろう。
 戦前は日本の絹は世界を独占していた。この絹が日本経済を、実に2000年間、変わることなく支えて来たのである。
 日本人がシルクロードに郷愁を感じるのは、これも2000年の遺伝体質だと考えたら如何
だろうか。


 第13話 建国の日は正しかった  84ページ より 引用。


私からの一言
 今回のタイトルは、絹戦争(17)です。 今回で、17回連続して、「絹戦争」のタイトルで掲載しました。 絹戦争というタイトルは、日本語の辞書で探しても見つかりません。
 (1)~(17)を通して、読みますと、どうやら、中国と日本が、絹を介して、戦争をしたという歴史のように思われます。
 日本に攻めて来たのは、中国で、戦場は日本です。

 このような歴史は、日本の歴史書にも登場しないのではないでしょうか。 勿論、世界史にも記されていないと思います。

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