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記紀(2)  - 日留山人 - [日本の歴史]

 門前の小僧、習わぬお教えを読む、いろはかるたの文句である。わたし達は小学5年の時には、交替で授業の前に、教育勅語を暗誦させられたものである。
 天皇も神武天皇から明治まで間違いなく云えたものだ。どんな漢字を書くのかは、全く知らなかったのである。
 恐らく古事記を口述した、ヒエダアレも、漢字は知らなくて、しゃべった筈である。漢字を知っていることと、文章を覚えていることは別問題だ。
 神父さんだったら、古事記の数倍のボリュームの聖書の文句を覚えておられるだろう。
 古事記は暗誦しやすい文章である。しかし日本書紀は最初から、紙の上に書かれた形式である。
 古事記はわざわざ語り部のヒエダノアレの、口述を文章にしたことは、間違いない。
 なぜ語り部によらなければ、古事記は書けなかったかを、論じた本があるだろうか。
 やはり帝紀や旧辞には、一行も、真実が書かれてなかったためと解したい。


第13話 建国の日は正しかった  86ページ より 引用。


私からの一言
 このページは、原文の説明は必要無いと思われます。

前回の「絹戦争」は、中国と日本が戦争状態に有りましたが、「戦争」という言葉を使った記録は有りませんので、日留山氏は、中国人が、日本のあちこちに絹を製造した所を地名などから推理して、17回に分けて書かれました。

もう一度、私のいい加減な説明は、飛ばして、「絹戦争」の本文だけを読んで頂きますと、中国が、日本人に絹の作り方を教えたのではなく、自分達が、絹を作る拠点を設けた様子が、浮かび上がると思います。
 中国人が作った絹は、中国で作られた絹よりも、質が良かったのでしょうか。シルクロードを介して、ユダヤ人が、ヨーロッパまで輸出した歴史を、日留山氏は書いておられます。

全く、話題は変りますが、 次の著書には、ある時から、輸入されていた絹の製品が、悪くなったことが記されています。
 著――エルネスト・パリゼー
 訳――渡辺轄二氏
 解説――布目順郎
 
文面からは、フランスへの絹は、中国から輸入されていた様ですが、フランスへは、日本から購入した日本の絹を輸出していたのではないかと、私は推察しました。

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