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記紀(3)  - 日留山人 - [日本の歴史]

 古事記が書かれたのは、712年である。宮中で古事記が、内密に作成されたのを、漢人が知って、自己宣伝用に、日本書紀を、720年に書上げたのではないだろうか。
 日本書紀を書いた漢氏は、名前は表面に出て居らない。ウラで色々作略することが、考えられてよいだろう。
 むしろ謀略の書であり、偽書なら、このやり方が常識である。
 古事記と日本書紀に、一致点が、全く見当たらない以上、日本書紀は一般のうわさを主にして書いたとしか、考え様がない。
 うわさとなれば、何天皇の時に、どんな出来事があったと、語り継がれる。
 従って、発生の順序通り、語り継がれるとは、限らない。既に述べたが、崇神天皇の、御世の出来事は、順序不同である。
 書かれた原本があれば、この様なことは、起こらない。
 天皇の年令が、古事記と日本書紀で、全く異なっているのは、推測で書かれたとしか、考え様のないことだ。


第13話 建国の日は正しかった  87ページ より 引用。


私からの一言
① タイトルは 「記紀」の3回目です。
 なのに、
「むしろ謀略の書であり、偽書なら、このやり方が常識である」の穏やかならざる文章です。

②「日本書紀を書いた漢氏は、名前は表面に出て居らない。ウラで色々作略することが、考えられてよいだろう」
 日本書紀を書いたのは、「漢氏」であったのはご存じでしたか。確か、このようなことをずばり、書いた本はなかったように思います。
 この推察の根拠は、「宮中で古事記が、内密に作成されたのを、漢人が知って、自己宣伝用に、日本書紀を、720年に書上げたのではないだろうか」です。


古事記が完成したのは、712年です。 日本書紀が完成したのは、720年です。

「記紀」は、深く考えないで、読みますと、両方と、日本の歴史を書いたものです。
古事記を書くに至った経緯が、「序を併せたり」に書かれています。

古事記原文
臣安萬侶言。夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。議安河而平天下、論小濱而淸國土。

 (中省略)
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、

「濳龍體元」の部分は、倉野憲司校注の古事記では、「天子たるべき徳を持って隠れていたが・・・」と書いてありますが、隠れていた龍は、天皇のこととしておられます。
 天皇は隠れておられたのではなくて、「曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世」と書いてある様に、即位をされたのでしょう。

「濳龍體元」に書かれている「龍」とは、中国人のことでしょう。
以下の文章は、私にとっては、倉野氏の翻訳文を読んでいても難解です。

この文章を書いたのは、太朝臣安萬侶で、712年の時代の人の文章です。

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