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記紀(6) - 日留山人 - [日本の歴史]

〝卑弥呼の墓だった箸墓〟に、古事記と日本書紀では、天皇家の系図が、異っていたと、述べておいた。
 系図が異なる位おかしな話が、正史にあってよいものだろうか。
 古事記では開化天皇には妹がなかった。しかし日本書紀には、開化天皇に、妹があった様に書かれている。
 この創作された妹が、神話化されて、自殺している。更に、この創作された妹が、現存する巨大古墳箸墓の主となっている。
 今一つ、この箸墓は昼は人が作り、夜は神が作るとまで、神話化されている。
 なぜ250年代にまで、日本書紀に限って神話を登場させなければならないのか。
 今述べた日本書紀の記事は、古事記には、全く書かれてない。
 古事記だけに、崇神天皇の妹が、伊勢大神宮を拝き祭ったと書かれている。この伊勢大神宮は、丹波の大江山の麓に、これも現存している。
 記紀の言葉は、ミソとクソのミックスだ。


第13話 建国の日は正しかった  90ページ より 引用。


私からの一言
 「この伊勢大神宮は、丹波の大江山の麓に、これも現存している」
この文章を読んで、そんな馬鹿なと思いました。私は大阪在住ですので、車で行ってきました。
伊勢大神宮は、三重県の伊勢と思います。が、「丹波の大江山の麓」と書いてありますので、車で行きました。
 この頃は、若かったので、奈良、和歌山、蒜山でも、車で行きました。
(この文章の作者は、日留山人ですが、きっと、ヒルゼン高原に住んで居られたのだと思います)

昔の人は、どこへ行くにも、歩いて行きました。
この部分のことを身体で知る為には、ただ、行くだけでは無くて、出来れば歩いて行きたい所です。
 北海道の方でも、大阪までは、飛行機で来られて、レンターカーで、「丹波の大江山の麓」まで、行かれますと、私と同じ条件になります。

「記紀」が出来たころは、710~720年の頃になります。
「丹波の大江山の麓」に、伊勢大神宮があるという情報が、日本中であったと考えて良いと思います。
私の場合は、車は、直ぐに、高速に乗り、時速、100キロで走っていました。今では、このスピードは、怖くて運転することは出来ません。
 出来れば、地道で、しかも、昔の街道を走って貰いますと、違った歴史を知ることが出来ると思います。


参考に------ミソとクソのミックスだ。
 味噌も糞も一緒
https://www.weblio.jp/content/%E5%91%B3%E5%99%8C%E3%82%82%E7%B3%9E%E3%82%82%E4%B8%80%E7%B7%92

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