記紀(12) - 日留山氏 ― [日本の歴史]
イザナギの命が実在された、証明材料は数多くあったのである。既にいくつかは述べた。
イザナギの命の妻が亡くなられて、祭られた所が、出雲と伯耆の、国境いの、比婆山と古事記に書かれていた。
この場所には、国土地理院の地図に比婆山神社が載せてある。(安来市の南2キロ)
イザナミの命は夫に先立たれ、もがりにされた所が、御墓原である。先に述べた鬼住山の西隣りの公言である。
ここでこの付近の地名について、道草を許して欲しい。
御墓原の地名位、変った地名があるだろうか。御の字がつくことは、高貴の人の墓所である。
御墓原の東南に御机の地名がある。御机とは、神社の神前に、ごちそうを飾る、机のことだろう。
イザナミの命は、古事記で、黄泉国にもがりにされたと書かれている。
夜見国と語り部が発音したのに、太安萬呂が「黄泉」とわざわざ、音標でない漢字を使用したものと考えられる。
第13話 建国の日は正しかった 98ページ より 引用
96~97ページは、1:50000 米子 の地図が、二面挿入されていますが、省略します。
日留山氏が気になられた地名が、楕円形で囲まれています。
96ページでは、宗像 大袋 下安曇 上安曇 三崎 諸木 旧天津村 手間山 高姫
絹屋 倭 旧大国村 音内谷
97ページには、 越敷野 音墓原 鬼住山
私からの一言
出来るだけ、古い地図ですと、古い地名が掲載されていますので、米子の地図を手に入れて、地名を眺めてください。
今日は 2回目の投稿に成りました。
同時に、、私の体調のことを書いていますが、どうやら、狭心症という病気は、治らないのと、死ぬ可能性が強いことが判ってきました。
現在、日留山氏の本を無断に、転載して、私の歴史感を書いています。
と云うことは、まだ、12冊は残っています。 出来れば、素晴らしい考え方ですので、すべて、お伝えしたい気持ちでいっぱいです。
そこで、命のほうは、神さんが決められることですので、書いていますブログの回数を不定期に、増やそうと思っています。
つづけて、読んで頂ければ嬉しいです。
イザナギの命の妻が亡くなられて、祭られた所が、出雲と伯耆の、国境いの、比婆山と古事記に書かれていた。
この場所には、国土地理院の地図に比婆山神社が載せてある。(安来市の南2キロ)
イザナミの命は夫に先立たれ、もがりにされた所が、御墓原である。先に述べた鬼住山の西隣りの公言である。
ここでこの付近の地名について、道草を許して欲しい。
御墓原の地名位、変った地名があるだろうか。御の字がつくことは、高貴の人の墓所である。
御墓原の東南に御机の地名がある。御机とは、神社の神前に、ごちそうを飾る、机のことだろう。
イザナミの命は、古事記で、黄泉国にもがりにされたと書かれている。
夜見国と語り部が発音したのに、太安萬呂が「黄泉」とわざわざ、音標でない漢字を使用したものと考えられる。
第13話 建国の日は正しかった 98ページ より 引用
96~97ページは、1:50000 米子 の地図が、二面挿入されていますが、省略します。
日留山氏が気になられた地名が、楕円形で囲まれています。
96ページでは、宗像 大袋 下安曇 上安曇 三崎 諸木 旧天津村 手間山 高姫
絹屋 倭 旧大国村 音内谷
97ページには、 越敷野 音墓原 鬼住山
私からの一言
出来るだけ、古い地図ですと、古い地名が掲載されていますので、米子の地図を手に入れて、地名を眺めてください。
今日は 2回目の投稿に成りました。
同時に、、私の体調のことを書いていますが、どうやら、狭心症という病気は、治らないのと、死ぬ可能性が強いことが判ってきました。
現在、日留山氏の本を無断に、転載して、私の歴史感を書いています。
と云うことは、まだ、12冊は残っています。 出来れば、素晴らしい考え方ですので、すべて、お伝えしたい気持ちでいっぱいです。
そこで、命のほうは、神さんが決められることですので、書いていますブログの回数を不定期に、増やそうと思っています。
つづけて、読んで頂ければ嬉しいです。
2018-10-03 18:05
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