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記紀(16)  - 日留山氏 ― [日本の歴史]

古事記に書かれた地名は、おかしいと思えば、一度、音にもどして、考えることだ。
 伯耆の地名と同じ地名が、各地で襲名されていることも、、注意することだ。少く共大和には、古事記や日本書紀を、いしきしてから、地名をはつけられたと、考えるべきだ。
 大国主命が、国譲りの談判を行った所は、伊那佐の小浜と書かれている。小浜とは小さい浜と考えては、意味が分らない。
 語り部「イナサノハマ」と、発音した筈である。これなら否砂の小波でよいだろう。砂のない海岸とは、いそ釣りの場所でしかも遠浅で小さい波のたつ、海岸である。
 現在の淀江町は、もと大和村だった。ここに小波浜の地名が見付かる。
 大国主命が、出雲大社を、国譲りの条件で、作ってもらった。ここは同じく多芸志の小浜と書かれている。これはタギシで、多岸と解すれば、斐伊川のデルタになる。 
 八岐の大蛇の、肥之河は、日野川が、現地にあっている。2000年昔を考えることは、まさしく連想ゲームである。


第13話 建国の日は正しかった  102ページ より 引用


私からの一言
日留山氏は、魚釣りをされるのです。私は魚は釣りませんし、海では、よう、泳ぎませんから、日留山氏のように、連想ゲームにはなりません。

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