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記紀(18)  - 日留山氏 [日本の歴史]

地名でいささか道草を、くったが、これは、古事記と日本書紀の、性格を考える上で、極めて重要な資料である。
 国土地理院に載せられた、伯耆の地名は、両書の影響を全く受けて居らない。云はば、バージンの資料である。
 大国主命や、神武天皇について、沢山の地名が、古事記には、登場した。しかし先づ日本書紀には、神武天皇が、東征に出発した時に、何所に居られ、何所から船出したかが、全く書かれていない。
 これで正史の資格があると、云えるだろうか。更に、これ以前の記載が無かったのである。
 古事記は語り部のしゃべることを、太安万呂が、文章に書いた。仮りにこの時、ヒエダアレが、何等かの、書きものを見て、暗誦したのであれば、太安万呂が、地名を原本で、チェック出来た筈である。
 古事記に書かれた地名を、発音を考えて、新しい漢字を、わたしは見出した。この結果
ふさわしい地名や、ふさわしい地形の場所が見付かったのである。


第13話 建国の日は正しかった  104ページ より 引用

私からの一言
 このページの意味が理解できません。
その場所は、最後の書かれた次のフレーズです。

「古事記に書かれた地名を、発音を考えて、新しい漢字を、わたしは見出した。この結果
ふさわしい地名や、ふさわしい地形の場所が見付かったのである」

此処に書かれた文章は、記紀(17)  - 日留山氏 ― に書かれた、次の文章でしょう。

古事記で高志(コシ)と書かれておれば、越すなはち雲南と考えたい。
 福の地名はこの地域には、至って多い。これこそ福建省の福州を経由して来た人だ。

古事記で高志(コシ)と書かれておれば、越すなはち雲南と考えたい。

高志(コシ)と書いてあるから、「越」のことだろうと、推察して、越=雲南 と考えるのは。無理でしょう。
 しかし、日留山氏は、次のように、記事を書かれました。
「古事記に書かれた地名を、発音を考えて、新しい漢字を、わたしは見出した。この結果
ふさわしい地名や、ふさわしい地形の場所が見付かったのである」

以上書きました意味はお解りでしょうか。

現在、毎日、日留山氏が書かれた書物の1ページずつを勝手に、切り取って、読んで頂いています。

記紀(17)から記紀(18)の間に、一日を置いて読むのと、実際の本で、続けて読むのとでは、意味が違ってきます。

このような次第で、一層複雑な文章になってしまったかもしれません。

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