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古事放談  3-18  日留山人 [日本の歴史]

スセリ姫が神代に琴を持っていたのである。琴とは弦楽器のことで、すでにこの時日本には弦楽器があった証拠である。
 天の詔琴とは一体何だろうか。すでに〝卑弥呼の霊に捧ぐ〟で述べたがここに書かれた天 (テン) とは天山山脈や揚子江の源流の通天河と同じ解釈でよいだろう。 
 少名彦名神はカイコのまゆを開いたものをつづった衣者を着て、チベットの皮船に乗ってやって来た。この時は天の羅摩船と書かれていた。
 御所を造成するスコップは天の沼矛と書かれていたのである。沼を開墾する道具まで持参で高天原に雲南の神々はやって来たのである。
 天之詔琴の詔は実はこの当時雲南にあった南詔国の一字を取ってあった。ここにも雲南を裏付ける証拠が出て来た。
 これだけ資料があれば天の詔琴こそは正倉院の楽器だとのべてはいけないだろうか。正倉院の五弦の楽器や中国や朝鮮を経由した根拠こそ何一無いのである。


古事放談  3-18  88頁より引用


私からの一言
①「少名彦名神はカイコのまゆを開いたものをつづった衣者を着て、チベットの皮船に乗ってやって来た。この時は天の羅摩船と書かれていた」 これは、しょうことして、書かれたものが残っています。
 それだけでは無くて、「少名彦名神はカイコのまゆを開いたものをつづった衣者を着て」と書かれていますが、これは、蚕の繭から作った着物を着ていたと云うことは、絹で作られた基もを着ていたのでしょう。

③「天之詔琴の詔は実はこの当時雲南にあった南詔国の一字を取ってあった」

お琴の名前は、天之詔琴と呼ばれていたそうですが、ここに書かれてある「詔」の漢字は、
 当時雲南にあった南詔国の一字を取ってあったと記して居られます。ただ、これだけでは無くて、もっと、詳しいことが書かれたものがあったのでしょう。

訂正
「古事放談  3-18  88頁より引用」の88ページの所が、8ページになっていました。

③に「詔」の漢字の事が書いてありましたが、読むことは出来ましたか。
 漢和辞典で調べてください。 この漢字はいろいの読み方がありますが、「しょう」 「みことのり」です。よみかたを知らないときは、漢和辞典では、 言、刀、口の部品を入力しますと、「詔」が見つかります。

 このように見ますと、「「詔」の漢字は、
 当時雲南にあった南詔国の一字を取ってあった」と、日留山人氏は書いておられますが、そうとはかぎらないかも知れません。 天之詔琴という言葉が書いてあります。このお琴は、天から頂戴したお琴だったという意味だと思います。このように考えますと、もう少し、調べる必要があるように思います。


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