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古事放談  3-20  日留山人 [日本の歴史]

五弦の楽器だけが独り歩きするだろうか。正倉院の御物の文献をみていると、中国独自すなはち漢民族らしい例えば竜をあしらった図案のものが少ないのである。
 唐から伝来したのであれば唐臭のものが最もはばをきかせておるべきではないか。
 反対に西域やそれ以遠のものがあまりにも目につくのである。例えば五弦の楽器にはラクダのすばらしい絵がある。
 楽器は少く共踊と一緒にやって来たと考えたいのである。踊る人が中国や朝鮮を素通りして日本に来られただろうか。
 この様に考えると天の詔琴すなはち五弦の楽器を持って月読命が隠岐から伯耆を経てヒルゼンに来たと考えたい。
 月読命を祀った神社は隠岐にも伯耆にもあることの謎は、この様に考えれば解けるのである。
 この時もたらされた踊りが大宮踊でよいだろう。そして天の岩戸の前での神々の踊りは恐らく、神を楽しませるお神楽と呼ばれる大宮踊の原形ではなかっただろうか。


古事放談  3-20  90頁より引用


私からの一言
① 「楽器は少く共踊と一緒にやって来たと考えたいのである。踊る人が中国や朝鮮を素通りして日本に来られただろうか」

②「天の詔琴すなはち五弦の楽器を持って月読命が隠岐から伯耆を経てヒルゼンに来たと考えたい」

①②の事から、シルクロードを通って、日本へやって来たとの論法ですね。 少し、無理なような気もしますが、天の詔琴と大宮踊を挟みますと、正しいような気にもなります。


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