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古事放談  3-19  日留山人 [日本の歴史]

シルクロード音楽の旅の最後の部分でクッチャの人が踊りながら道を歩いて行く場面があった。
 ヒルゼンの無形文化財の大宮踊があまりにもこの踊によく似ていたのである。
 月読命が五弦の楽器を携えてヒルゼンにやって来て、踊を大宮人につたえたとしたら如何だろうか。
 地名で宮のつく所には雲南からの貴族が居った。お宮とは天子が居ったところで、ヒルゼンには雲南からの大王を意味する天皇の地名は4ヶ所もあった所である。
 大宮の「大」 は大礼、大葬、大典の大と同じ単なる大ではなかったのである。
 ヒルゼンに大宮踊の名前が残ったことは高天原があった証拠であり、月読命が来られたと考え考えてよい今一つの証拠である。
スセリ姫が五弦の楽器を持ってカケ落したことはスサノオ命がこの楽器を月読命から贈られたと考えればよい。スサノオ命はヒルゼンの西北の高麗村唐王に住居があった。スサノオ命は唐王と称していたのである。


古事放談  3-19  89頁より引用


私からの一言
 古遅留山人氏は、「シルクロード音楽の旅」も見られました。
そして、「ヒルゼンの無形文化財の大宮踊があまりにもこの踊によく似ていたのである」
 このように書かれたからには、蒜山高原まで行かれと、「無形文化財の大宮踊」にも参加されたことでしょう。見ていただけでは、この二つの踊りは、思い出されなかったと思います。
 それだけではありません。どこへ行かれても、地名が気になります。
「ヒルゼンには雲南からの大王を意味する天皇の地名は4ヶ所もあった所である」

 地名の決定打をご覧ください。
「スサノオ命はヒルゼンの西北の高麗村唐王に住居があった。スサノオ命は唐王と称していたのである」

私も隠岐島に行ってきました。 ここには、中山王国から、の人達がやって来たことは、前に見て頂きました。
 隠岐には、180程の厖大な島があり、その内、人が住むところは、少なかったのですが、厖大な神社があり、一日では周りきれなくて、二泊しました。
 この人達のうち、多くの人が、このヒルゼンにもやって来られたのではないかと、蒜山高原では、神社めぐりをしました。

第12話には書いてなかったと思いますが、ヒルゼンの方にも、古事記に登場する神社が多かった様に思います。
 
確か、日留山人氏も、隠岐と蒜山に多く書いて居られた様に思います。隠岐に上陸した人達は、出雲に移動。そして、又、一部の人は、ヒルゼンに移動したのではと考えますが、証拠はありません。

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