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古事放談  3-22  日留山人 [日本の歴史]

スサノオ命は高句麗人である。この本拠は現在の淀江町に合併された高句麗村唐王でよいだろう。
 前漢の武帝は紀元前108年に北鮮を中国植民地にした。この時スサノオ命は隠岐に亡命して来たと考えてよいだろう。
 イザナギ命の許に集った天照大神、スサノオ命、月読命の年代は前漢の武帝の時で矛盾を生じないことになったのである。
 しかも三人武帝に圧迫されて祖国を捨てた人達と考えたいのである。西域の楼蘭が同時期に幻の様に姿を消したのも、圧迫があったせいと考えたいのである。
 従って月読命は楼蘭から五弦の楽器を携えて日本にやって来た。
 呉は揚子江の中流である。亡命する時には第一番に明日の食糧になる種を持って行くだろう。
 従って天照大神は揚子江の中流の稲の籾を持ってくるのが常識である。日本の稲が雲南の稲でなくて、揚子江中流のジャポニカ種である謎はこれで解けたことになる。


古事放談  3-22  92頁より引用


私からの一言
 時代は紀元前108年の頃です。
と云うことは、2018+108で、2126年前の事になります。このように古い時代の事は、何所の国であっても、歴史は分からない方が、当然でしょう。
 それでも、歴史書に書かれていないことを見つけて来られるのが日留山氏です。

「従って天照大神は揚子江の中流の稲の籾を持ってくるのが常識である。日本の稲が雲南の稲でなくて、揚子江中流のジャポニカ種である謎はこれで解けたことになる」

この説は、お見事です。 漢字で残されていたのではなくて、稲の品種として残っています。
 その前に書いておられます「五弦の楽器」も残されています。

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