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第8話 吉備にあった漢の古墳  ※ 日本のあけぼの(5) [日本の歴史]

残る一人が天照大神である。この人の家系が古事記である。恐らく中国の周の時代の呉から小数でやって来た貴族である。
 イザナギの命は天照大神に高天原を譲って近江の近江八幡に移った。ここを本拠地にして中山王国の縁故者を近畿一円に入植させた。
 この人達だけが銅たくを日本でまねして作った生活をエンジョイしたのである。
 天照大神はヒルゼンに留って稲作を試みたが、米が出来なかった。この時ヒルゼンにいた居った人は万をはるかに越えていた筈である。
 この当時スサノオの命の子孫の大国主命村のボスだった大国主命は米子平野を支配していたのである。
 この米子平野は稲作の適地だったので、天孫族は談判の末手に入れた。
 大国主命はかってヒルゼンを追われた、スサノオの命の子孫であることを思出して欲しい。早く云えば天孫族とは仲が悪かった。
 米子平野を手に入れると天照大神は、ニニギの命にバトンを渡してヒルゼンから倉吉の高千穂に政府機関を移した。


            - 7 - より抜粋


私からの一言
 「イザナギの命は天照大神に高天原を譲って近江の近江八幡に移った。ここを本拠地にして中山王国の縁故者を近畿一円に入植させた」

 僅かの文章に、多くの資料を書いて居られます。これを読んでから、滋賀県の銅鐸を氏に行ってきました。神戸市に展示されているのは、小さかったですが、滋賀県のは大きかったですね。

「この人達だけが銅たくを日本でまねして作った生活をエンジョイしたのである」という記事は、どなたかが書かれていたので、拝借されたのではなくて、どこかで銅鐸を見られて書かれたのでしょう。「生活をエンジョイ」との表現は、どの様な銅鐸を見られて感じられたのでしょう。

大岩山銅鐸と滋賀県出土銅鐸・小銅鐸
http://www.city.yasu.lg.jp/kosodate/bunka/bunka/1454413360291.html

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