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第8話 吉備にあった漢の古墳  ※ 日本のあけぼの(7) [日本の歴史]

稲作の計画移民は日本海側の全河川と潟には例外なく入植した。津軽平野は東北では最も多く入植した所である。
 稲作技術は1世紀には全国に一先づ行き亘った上で、不毛で中止した地域が生じた。
 この時に近畿を中心にニギハヤヒが勢力を伸ばして行ったので神武東征が行われた。 大和に進駐したがニギハヤヒは勝チ目がないと分ると、サッサと神武に寝返って、あべこべにナガスネヒコをニギハヤヒの部下に殺させた。
 この事件が50年頃片付いたのである。銅たく圏が同時に消滅した。
 107年には漢の将軍師升が九州にスパイとして潜入した。 天皇だけは銅たく圏の中心で、にらみをきかせ、軍隊は、日本海からも瀬戸内海からも攻撃されにくい美作の久米国に置いた。
 久米から吉井川経由大和がメーンルートである。漢の将軍師升はこの川口を大量の水軍で占領した。この占領は、この川口を大量の水軍で占領した。この占領は実に190年まで続いたのである。


         - 9 -  より抜粋


私からの一言
 ① 地名---大江山
  大と江---大はなにを表すのでしょう。 江が残ります。江は入り江、湾。
  天照大神は月読命の隣りの大江山に隠とんした。 これも鍵になりそうです。
 ②元伊勢---元伊勢と呼ばれる所が沢山あります。 調べたことがありますが、余り、注目されていません。歴史を解く鍵になる様に思います。

 ③「この二人の天ツ神は大江山の麓の伊勢神宮にまつられた」----著者は気になったのですが、祀られた理由は書いて居られません。 この時の著者の名前は、田村誠一でした。
  田村誠一の名前は、第一話から、ずっと、田村誠一です。前回、紹介していました 第12話のときは、日留山人でした。

 ④ 「イザナギの命が築いた銅たく圏はナガスネヒコが引継いでいたのである」
  この様な事は、他の歴史を勉強する方は、述べて居られるでしょうか。 重要な事だと思います。銅鐸が出土した所は、実際に見に行く必要があります。
  そう思って、滋賀県に行って、歩き周りました。 

 ⑤「この年代は紀元ゼロ年から50年のことだ。天照大神から5代目の神武天皇の御世である」
  この指摘は、重要な事だと思いますが、多くの歴史家は、初代から、10代までの天皇は、実在していない天皇との見方が多い様に思います。

⑥ 「天孫族は玄米主食で長生きだから親子4代が同時に生きていた時代である」
  このようなことは、可能性としては、あり得ることでしょう。玄米のまえは、何を食べていたのでしょうか。残っているとしたら、籾殻でしょう。もみがらは、全国の何県に残っているでしょうか。
  この文章を書く気になったと云うことは、籾殻出土地の一覧表も作られたと思います。
   そうでないと、「親子4代が同時に生きていた時代」という文章は、書く事が出来ないと思います。

⑦ 「神武天皇はチベット雲南等の少数民族を大量に計画移民として導入した。この時日本にやって来た稲作民は百万以上だったと思われる」

  この部分も、大切なことです。
 田村氏の頭は、パンクしそうになるほど、新旧入り混じった知識で一杯だったと思います。

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