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第8話 吉備にあった漢の古墳  ※ 日本のあけぼの(6) [日本の歴史]

ヒルゼンから撤退したのは紀元前1世紀である。これと同時に天照大神は月読命の隣りの大江山に隠とんした。
 この二人の天ツ神は大江山の麓の伊勢神宮にまつられた。現在は大江町で元伊勢である。
 イザナギの命が築いた銅たく圏はナガスネヒコが引継いでいたのである。
 丹波国に中国からニギハヤヒがやって来て天照大神の子孫になりすました。
 ナガスネヒコはイザナギの命は天照大神の友人だったことを知っていた。この状態の所にニギハヤヒが自分は天ツ神だと偽って自己紹介した。ナカスミヒコはニギハヤヒを天ツ
信じて尽したのである。
 この年代は紀元ゼロ年から50年のことだ。天照大神から5代目の神武天皇の御世である。
天孫族は玄米主食で長生きだから親子4代が同時に生きていた時代である。
 神武天皇はチベット雲南等の少数民族を大量に計画移民として導入した。この時日本にやって来た稲作民は百万以上だったと思われる。


              - 8 - より抜粋

私からの一言
 ① 地名---大江山
  大と江---大はなにを表すのでしょう。 江が残ります。江は入り江、湾。
  天照大神は月読命の隣りの大江山に隠とんした。 これも鍵になりそうです。
 ②元伊勢---元伊勢と呼ばれる所が沢山あります。 調べたことがありますが、余り、注目されていません。歴史を解く鍵になる様に思います。

 ③「この二人の天ツ神は大江山の麓の伊勢神宮にまつられた」----著者は気になったのですが、祀られた理由は書いて居られません。 この時の著者の名前は、田村誠一でした。
  田村誠一の名前は、第一話から、ずっと、田村誠一です。前回、紹介していました 第12話のときは、日留山人でした。

 ④ 「イザナギの命が築いた銅たく圏はナガスネヒコが引継いでいたのである」
  この様な事は、他の歴史を勉強する方は、述べて居られるでしょうか。 重要な事だと思います。銅鐸が出土した所は、実際に見に行く必要があります。
  そう思って、滋賀県に行って、歩き周りました。 

 ⑤「この年代は紀元ゼロ年から50年のことだ。天照大神から5代目の神武天皇の御世である」
  この指摘は、重要な事だと思いますが、多くの歴史家は、初代から、10代までの天皇は、実在していない天皇との見方が多い様に思います。

⑥ 「天孫族は玄米主食で長生きだから親子4代が同時に生きていた時代である」
  このようなことは、可能性としては、あり得ることでしょう。玄米のまえは、何を食べていたのでしょうか。残っているとしたら、籾殻でしょう。もみがらは、全国の何県に残っているでしょうか。
  この文章を書く気になったと云うことは、籾殻出土地の一覧表も作られたと思います。
   そうでないと、「親子4代が同時に生きていた時代」という文章は、書く事が出来ないと思います。

⑦ 「神武天皇はチベット雲南等の少数民族を大量に計画移民として導入した。この時日本にやって来た稲作民は百万以上だったと思われる」

  この部分も、大切なことです。
 田村氏の頭は、パンクしそうになるほど、新旧入り混じった知識で一杯だったとおもいます。

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