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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 山城の椿井古墳 (1) [日本の歴史]

筑摩書房の〝年表・日本歴史〟を左記と次頁に示しておいた。昭和55年5月に出版された最新の年表であり、歴史学者の共通意見と解してよいだろう。
 300年代すなはち4世紀に畿内から瀬戸内海にかけて巨大なしかも画一的な古墳が発生した。これらの古墳からは多数の漢の銅鏡や鉄製武器が出土したと書かれている。
 後漢は200年頃は滅亡寸前だったのに、300年以降に鏡だけ、代々百年以上も引継いだ人が九州から山城にまで居ったことになって奇怪なことになる。
 これらの古墳は、107年以降漢軍が日本を占領していた証拠だったと主張したいのである。
 漢軍が死んだ数だけ鏡を埋葬したとすれば巨大の謎も、画一製の謎も鉄製武器が出土した謎も全て解けることになる。
 年代だけがおかしくなるが、カーボン14による科学的方法は、日本では弥生期と古墳期に限って使われなかった謎も解けてくれる。



― 29 -  より抜粋


私からの一言
 多くの謎が解けたことになります。
ということは、書かれてある歴史は、略、正しいとの考えを進めて良いと思われます。

田村誠一氏は、次の2ページに、筑摩書房の〝年表・日本歴史〟を示したと書いて居られます。
 最新の歴史年表だと断って有ります。
 少しだけ、記事を記しておきます。

300年
 ▽西晋に八王の乱が起こる。
302年
 ▽高句麗、玄莵郡を侵す (三国史記)
311年
 ▽洛陽陥落し、晋帝捕えられる ◎永嘉の乱

活字が 本文の3分の1ぐらいの大きさで、組み込まれています。と云うことで、詳細な記事が掲載されています。

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