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第9話 中国人が書いた日本書紀   ※ 最大の古墳数は鳥取県 (6) [日本の歴史]

〝謎の古代―京・近江〟 の86頁を左記に示しておいた。
 なぜ宮内庁が仁徳天皇陵と呼んでいるものを、わざわざ大山古墳と呼ばなければならないのか。
 お盆には先祖の墓参りをするのは日本の美風である。自分達の先祖の墓は自分達が一番よく知っている。5代前の墓位は間違いなく語り継がれている。
 他人の墓のことは仲々分からないものだ。他人の墓の方が立派だから勝手に自分達の先祖の墓に横どりすることが許されるだろうか。 
 天皇陵は天皇家が代々引き継いで先祖のまつりを行って来たので天皇家が一番よく知っている筈である。明治天皇陵や大正天皇陵まで桃山両、多摩陵と呼ぶべきか。
 大山古墳と呼ぶことによって古代史の謎がすっかり解けるならよい。解けないのに御陵名を変えたり、地名を新住居表示にすることは混乱を増すばかりである。
 御陵名が仮に間違って伝承されても、間違ったことが歴史の一コマである。


― 27 -  より抜粋


私からの一言
 始めに、「〝謎の古代―京・近江〟 の86頁を左記に示しておいた」とありました。

その文章をそのまま、記します。

それから三番目の特長は、日本の古墳は非常に規模が大きいということです。よくご存じのとおり、大阪の堺市へ行きますと大山 ダイセン(仙) 古墳があります。宮内庁では仁徳陵と呼んでいる古墳ですが、私はそういう名前は使いません。この古墳は486メートルもの長さがありますが、これに限らず日本の古墳は一般に大きいです。このことは、中国とか朝鮮の支配者の墓に比較すると、いよいよ重要な特長として上げられます。
   
以上です。

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