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村社 新宮山神社 [日本の歴史]

東伯郡西郷村大字下餘戸字屋敷廻鎮座

祭神 天照大神、素戔嗚尊、稲田姫命、倉稲魂命、
由緒 創建年月不詳と雖、旧来祇園牛頭天王と称して崇敬し来れるものなり、明治維新の際新宮山神社と改称せられ、同時に末社の神倉稲魂命を合祭せらる、明治四十年四月二十七日神セン幣帛料共進神社に指定せらる。

例祭日  十月七日
建造物  本殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 五百五十坪
氏子戸数 二十三戸

私からの解説
 氏子戸数 二十三戸の人達で、本殿、拝殿、神楽殿、神輿庫のものを建設できたのでしょうか。

新宮山神社---下記の新宮山神社と同じ神社でしょうか。
https://www.google.co.jp/search?source=hp&ei=qmB0XLH5EeeFr7wPt-yNCA&q=%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&btnK=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&oq=%E6%96%B0%E5%AE%AE%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E7%A4%BE&gs_l=psy-ab.3..0i30j0i5i30.8380.24497..40502...1.0..0.125.1538.17j1......0....2j1..gws-wiz.....0..0i4j0i131i4j0i131j0j0i4i37j0i10j0i4i30j0i5i4i30j38j0i13i30j0i13i5i30.8sKnValYDak


コメント②
 挑戦して、地図を表示してください。東伯郡の位置は、鳥取県の海岸の近くです。 大山も見えます。 この辺りは、大陸から、日本人の先祖が、初めに、上陸した所だと、田村氏が考えておらる場所です。同時に、中国人も、流れ着いたところでもあります。
 古事記に登場する「高天原」は、中蒜山の頂上にあったことになります。

祭神をご覧ください。 古事記の最初に書かれている神です。 田村氏の考えは、正しいかもしれません。 
 地図は、大きくしたり、小さくしたり、いろいろの角度から見ることが出来ます。

他の人が、書いておられる新宮山神社では、写真を掲載しておられます。周囲4メートルの大木の写真も掲載してあります。
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