村社 三朝神社 [日本の歴史]
東伯郡三朝村大字三朝字森崎 鎮座
祭神 誉田別尊、大己貴命、素戔嗚命、武内宿祢命、大山祇命
由緒 大正十年十二月五日三朝村大字三朝字森崎鎮座村社湯村神社
(祭神 大己貴命) [当社は源義朝の旗下大久保左馬之祐の
崇敬の神にして深き縁故を有す、爾来大久保大明神と称し]
来たりしが維新の際湯村神社と改称す、三朝区の氏神たり]
同神社境内末社無各社外谷神社(祭神素戔嗚命)
[当社は牛頭天王と称し外谷区の氏神たりしが維新の際廃社
となりしも明治十年十二月願済の上復旧し湯村神社境内に遷
し境内末社として崇敬せり]同村大字砂原字宮ノ上鎮座村社
砂原神社(祭神誉田別尊武内宿禰命、大山祇命) [当社は妙見
山正八幡宮と称し、砂原村妙美井山の山頂に鎮座せられしが
寛永二年四月十五日故ありて字宮ノ上に遷し奉れり当社は天
領三反歩の御免地を賜はりしと、文化三年以前は毎年六月十
四より三日河村、久米、八橋の三郡武運長久五穀成就郡内安
全の祈願を奉仕し、祈願御札は郡内全部に配布せり、此時使
用の配札箱には妙見山正八幡宮と記し其下に寺社役所の焼判
を押したる懸板を下されたるを建て配札せりと、其懸板現存
せり、文化四年七月より。河村、久米二郡は尚一層の崇敬厚
かりき、元和六年九月には神田高二石時の寺社役梶田清右衛
門より寄す、証書現存せり] 右三神社を合併し三朝神社と改
称す。
以上三神社は創立年月不詳なりと雖正治元年時の奉仕神主
大坂林竹の調書ありて、其の以前の神社たるや明かなり、大
正十三年十月十七日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 三百十二坪
氏子戸数 百二十五戸
☆ 神饌幣帛料供進神社は、ご存じでしたか。
祭神 誉田別尊、大己貴命、素戔嗚命、武内宿祢命、大山祇命
由緒 大正十年十二月五日三朝村大字三朝字森崎鎮座村社湯村神社
(祭神 大己貴命) [当社は源義朝の旗下大久保左馬之祐の
崇敬の神にして深き縁故を有す、爾来大久保大明神と称し]
来たりしが維新の際湯村神社と改称す、三朝区の氏神たり]
同神社境内末社無各社外谷神社(祭神素戔嗚命)
[当社は牛頭天王と称し外谷区の氏神たりしが維新の際廃社
となりしも明治十年十二月願済の上復旧し湯村神社境内に遷
し境内末社として崇敬せり]同村大字砂原字宮ノ上鎮座村社
砂原神社(祭神誉田別尊武内宿禰命、大山祇命) [当社は妙見
山正八幡宮と称し、砂原村妙美井山の山頂に鎮座せられしが
寛永二年四月十五日故ありて字宮ノ上に遷し奉れり当社は天
領三反歩の御免地を賜はりしと、文化三年以前は毎年六月十
四より三日河村、久米、八橋の三郡武運長久五穀成就郡内安
全の祈願を奉仕し、祈願御札は郡内全部に配布せり、此時使
用の配札箱には妙見山正八幡宮と記し其下に寺社役所の焼判
を押したる懸板を下されたるを建て配札せりと、其懸板現存
せり、文化四年七月より。河村、久米二郡は尚一層の崇敬厚
かりき、元和六年九月には神田高二石時の寺社役梶田清右衛
門より寄す、証書現存せり] 右三神社を合併し三朝神社と改
称す。
以上三神社は創立年月不詳なりと雖正治元年時の奉仕神主
大坂林竹の調書ありて、其の以前の神社たるや明かなり、大
正十三年十月十七日 神饌幣帛料供進神社に指定せらる。
例祭日 十月十月十七日
建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿、神輿庫
境内坪数 三百十二坪
氏子戸数 百二十五戸
☆ 神饌幣帛料供進神社は、ご存じでしたか。
2019-03-03 00:11
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