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村社 高杉神社 [日本の歴史]

西伯郡大山村大字宮内字早稲ノ上鎮座

 祭神 大足彦忍代別命、大日本根子彦太瓊命、
    押別命、本媛之命、松媛之命、千代姫
    命、小葉枝皇子、根鳥皇子、天照大御
    神、武速須佐之男命、誉田別命

 由緒 創立年代不詳、往古より藩主の祈願書
    として社領若干あり、武門武将の崇敬
    も厚く、社蔵の棟札古書類にも元汗入 
    郡大社高杉郡或は高杉郷大社ありと、
    造営並に修理の費用祭費等郡中より徴
    収するの例あり、慶応二年丑十一月現
    社地に移転再興すと記したる棟札、並
    に寛永七年寅三月由来書き上に、境内
    に杉成長すること他に異なり大山金門
    鳥居の笠木に衆徒より望まれ之を截る、

    夫より災妖止むときなく云々とあり、又
    雄略天皇丙辰の歳近郷衆庶に祟りあり
    恠事年を累ね人民之を欺く、其の時神
    の託宣に二人の官女たる松媛命、千代媛
    命の霊魂が細姫に対し嫉妬の祟りとし、
    之れを神廟に祭祀し、御告の随に宮殿建
    造し一ノ御前社(本殿モトドノ) 二ノ御
    前社(中殿)三ノ御前(末殿)と奉祀し、祭日
    には嬲神事とて三人の仕入れ物忌み神懸
    りあり幣帛を以て打ち合わせ式あること
    を絶えず、当社古書類は毛利尼子の兵乱
    の為焼失したると会見郡美濃村秦某が奪
    取して美作國玉森明神に隠し納めたりと、
    皇霊山城陥り尾高城に変遷の際社領宝物
    尾貴重品等尾高に奪取せられたるため伝
    はらず、当時幸いにして兵?を免れたる
    随神の古神像二體を現存するのみ、元禄
    二年迄は高杉郷八ヶ村の鎮守氏神なりし
    も、皇霊山牧草採取に関して山論あり、
    坊領佐摩今在家は大山寺領なりしを以て
    大山奉行圓山源兵衛の裁断にて坊領に神
    社を創立して氏子を離れ、続いて平、中
    高、神原、長田も分離せしも、今に祭日
    等同日に行ひ総氏神と尊信せり、当社々
    伝には皇霊山は景行天皇御草創の地にして、
    皇子忍別命の本居別稲置の首にして当社は
    皇孫代々の宗廟たりと、明治五年村社に列
    せられ、同四十一年十一月十九日新鮮幣帛
    料供進神社に指定せらる。大正元年大山村
    大字宮内字村邸鎮座無格社壹之神社(祭神
    本媛之命)同村大字同字早稲ノ上鎮座無格社
    貮之神社参之神社(祭神松媛之命千代媛之命)
    を合併す、同二年十月大山村大字平字村屋敷
    鎮座無格社平神社(祭神小葉枝皇子大葉枝皇子
    根島皇子 天照大御神) 同村大字宮内字村屋
    鋪?座無各社荒神社(祭神武速須佐之男命)を合
    併す。

例祭日  十月十五日

建造物  本殿、幣殿、拝殿、神饌所

境内坪数 五百八十九坪

氏子戸数 七十戸

気になった事

 東伯郡に比べますと、西伯郡は、祭紳の数が多い様に思われます。

この人たちは、中国からやって来た人達ではないかと推理しています。
之が正しいとしますと、祭紳は、中国から背負って来たと考えるしか
ありません。 そうしますと、これらの祭紳の名前は、中国語に由来
することになります。
 残念ながら、中国語は全く知りません。
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