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郷社 八幡宮 [日本の歴史]

西伯郡春日村大字東八幡字屋敷鎮座

  祭神 誉田別尊, 足仲彦尊、息長足姫尊
   
     物部大連神、素戔嗚命、高良命

  由緒 当社の社記に拠れば、元正天皇の御宇
     養老四年九月の創立にして、其後後鳥
     羽院の御宇右大将源頼朝公の再建と云
     へり、古来地方の大社として朝廷の御
     崇敬武門武将の信仰特に厚く、元弘三
     年後醍醐天皇船上山へ御潜幸の際当社
     神主巨勢宗國同家盛参加して忠勤を竭
     し論旨を賜はり、又但馬土田一分及び
     亀別宮の地頭職に補せられ、建武五年
     六月山名時氏当社に伯耆國保田庄内三
     谷村の地頭職を寄進し、興国元年十月
     には美作國青倉庄地頭職に補すべき論
     旨を賜はる等、多数の寄進状古文書を
     存す、代々の領主は祈雨、祈晴、冠婚、
     癒廟、領中安全の祈願を特に当社に命
     せられ、又造営に際しては寛永十一年
     承応二年両度より始め其の造営には藩
     廳より作事奉行、大工棟梁を差向けら
     れ、其の後延寳九年よりは更に銀二貫
     五百目材木六十本を下渡され、近く慶
     応二年まで営繕の都度旧例として以上
     の銀木を附せらる、社領往古は千石を
     有せしと云ひ、其後慶長、元和、寛永
     の証文に高四十石、四十二石、五十五
     石九斗八合、三十四石五斗三升等を附
     せらる、又伯耆国挌社会見郡大社と定
     めらる社域往古は四方八町に亘り樹木
     鬱蒼として一大森林を成せりと云ふ、
     又神宮寺ありてその跡を今大寺村と云
     ひ、河南十町余りにあり、本村内に其
     の末寺跡あり寺屋敷と呼ぶ、当時社家
     六戸士八戸ありしと云ふ、又祭礼の日
     には警固の武士鳥取より下向し、下吏
     米子より出勤のこと寺社奉行の証文に
     見ゆ、例祭には負忌の神事、神輿渡御、
     七十五膳の供饌、御能の舞等ありしも
     今は中絶す、明治四年四月郷社に列
     せられる、同四十年十二月十九日、
     神饌幣帛鮮幣帛料供進神社に指定せ
     らる、物部大連神は往古より本社境内
     末社なりしを明治元年神社改正の際合
     祭す、大正六年十月五千石村大字福市
     字四ッ塚谷鎮座無格社西千田神社(際神
     素戔嗚尊、高良尊)同村大字同字屋敷ノ
     上鎮座無格社武内神社(祭神高良尊) 
     同村大字同字東堀鎮座無格社東堀神社
     (祭神素戔嗚尊、高良尊)春日村大字水浜
     字堤外鎮座無格社水浜神社(祭神誉田別
     尊) を合併す。

  境内神社 武内神社、祭神 高良命

  例祭日  九月十五日

  建造物  本殿、幣殿、拝殿、神門、
       神饌所兼、神楽殿、御神馬舎

  境内坪数 二千五百八坪

  氏子戸数 千戸
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亀甲神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字中間字海道ノ上鎮座

     祭神 須佐之男命

     由緒 創立年代不詳、神木を以て荒神宮
        と称す、大神山神社の摂社たり、
        明治元年神社改正の際歯医者とな
        りしを、同十二年十一月許可を得
        て再興し亀甲神社と改む。

     例祭日 九月十五日

     建造物 本殿

     境内坪数 十九坪

     崇敬者戸数 二十六戸
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中間神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字中間自東屋敷鎮座

 祭神 須佐之男命

 由緒 創立年代不詳、古来素戔嗚命は三宝荒神
    と称し綿津見命は龍王権現と称し、事代主
    命は恵比寿神と称して、共に中間の産土神
    たり、明治元年三社を合祀して中間神社と
    改称す、明治八年大神山神社の所轄社とし
    なりしか其後所轄社を止めらる。

 例祭日 十月二十五日

 建造物 本殿、幣殿、拝殿、随神門

 境内坪数 百五十八坪三合

 崇敬者戸数 三十三戸
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津末神社 [日本の歴史]

西浦郡巌村大字浦津字村西清水東鎮座

  祭神 素戔嗚尊

  由緒 創立年月不詳、往古より蚊屋島
     神社の摂社にして荒神宮と称せし
     を、明治元年神社改正の際津末神社
     と改称せらる。

  例祭日 十月二十八日


  建造物 本殿、拝殿

  境内坪数 百二十七坪

  崇敬者戸数 九戸
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佐陀神社 [日本の歴史]

西伯郡大和村大字佐陀字上屋敷鎮座

 
 祭神 伊弉諾尊、伊弉冉尊

 由緒 創立年代明らかならざれども当国
    日野郡楽々福神社旧記に、佐陀大
    明神は人皇七代に当って當国悪鬼
    蜂起し国家動揺す、依て孝霊天皇
    之れを退治のため御幸せられ、國
    中悉く平定、此の時佐陀大明神を
    勧請せられしと、其他由緒不明、
    享保十二年社領一石三斗を附せら
    る。伯耆誌に曰く「祭神伊弉諾尊、
    伊弉冉尊と称するは誤りにて大己
    貴命蛆貝比賈とする旧説あり(田蓑
    日記に見ゆ) 又猿田彦神とする説
    あり爰に略す、当社は古へ大山佛教
    院当村の進太郎左衛門相共に議て、
    出雲の佐陀神社を移し祭ると云へり、
    今社地の傍なる一小民此進氏なり、
    旧は権神主にて古き棟札に其名見へ
    たり箕村進氏と一家なり、太郎座衛
    門が霊社社地に在り、貞享四年馬場
    村内藤氏が社帳に左田村進忠兵衛郡
    中社主に列して印判せり、又杉原盛
    重の次子影盛、兄元盛を討て後此の
    社地の傍に城を構へしが、幾ばくな
    らずして毛利氏に誅せらる」と、昭
    和六年七月村社に列し、同年九月二
    十二日新鮮幣帛料供進神社に指定せ
    らる。

 例祭日  十月十八日
   
 建造物  本殿、幣殿、拝殿、神楽所、随神門
      仮殿

 境内坪数  千七十二坪
  
 氏子戸数  百三十四戸
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吉岡神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字吉岡字西三軒屋中鎮座

  祭神 誉田別尊

  由緒 当社は旧と蚊屋島神社境内境内
     末社にて八幡宮と称せしを、明
     治元年神社改正の際本社に合祀
     せられしが、明治三年十一月吉
     村の産土神に誓願許可を得て今
     の地に奉斎す。
  
  例祭日 九月十五日

  建造物  本殿

  境内坪数 七坪
 
  崇敬者戸数 四十戸
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浦木神社 [日本の歴史]

西浦郡巌村大字浦津字清水東鎮座

  祭神 素戔嗚尊

  由緒 創立年月不詳、往古より蚊屋島
     神社の摂社にして荒神宮と称せし
     を、明治元年神社改正の際今の社
     号に改めらる。

  例祭日 十月二十八日

  建造物 本殿、拝殿

  境内坪数 八十八坪

  崇敬者戸数 四十五戸
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高砂神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字熊黨字四間割 鎮座

  祭神 素戔嗚尊、誉田別尊

  由緒 創立年代不詳、蚊屋島神社の摂社に
     して、祇園牛頭天王と称せしを、明
     治元年神社改正の際、高砂神社と改
     称せらる、誉田別尊は本村内に鎮座
     ありし八幡宮を同年合祀す。

  例祭日 十月二十六日

  建造物 本殿、幣殿、拝殿

  境内坪数 百十五坪

  崇敬者戸数 五十戸
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稲荷神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字今在家字佃鎮座

  祭神 倉稲魂命

  由緒 創立年代不詳、往古より蚊屋島神社
     氏子内本村の産土神にして稲荷大明神
     と称せしが、明治元年現今の社号に改
     称せらる。
  
  例祭日 十月一日

  建造物 本殿、幣殿、拝殿、神楽殿
 
  境内坪数 九十九坪

  崇敬者戸数 六十戸
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上部神社 [日本の歴史]

西伯郡巌村大字蚊屋字八幡田 鎮座

  祭神 誉田別尊

  由緒 創立年代不詳、往古より蚊屋島神社の
     摂社にして八幡宮と称せしを、明治元
     年神社改正の際今の社号に改めらる。

  例祭日 十月二十五日

  建造物 本殿、神楽殿

  境内坪数 百二十七坪

  崇敬者戸数 三戸

コメント 
   崇敬者戸数 三戸は、これまでで、
   一番少なかった戸数だと思います。

   崇敬者戸数の意味は正確には分から
   ないのですが、軒数だと理解しています。

  このよに、少なかったのですが、新参もので、
  仲間に入れてもらえなかったのでしょうか。

  それより、何か、ルールがあったのかもしれません。

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