No147 方形周溝墓は中国人の墓か [日本の歴史]
No145において、少し方形周溝墓のことについて書きましたので、書き加えようかと思っています。とは云うものの、本当はなにも知らないのです。あまりにもありふれた墓ですので、プロの方は無視されています。ところが、私は気になって仕方が無いというだけのことです。
方形周溝墓とは、形が正方形で、その周りに溝が掘ってあるというだけのことです。必ず正方形かといいます、長方形のものも、そのように呼んでいるようです。
1 スダレ遺跡 福岡県嘉穂郡穂波町 福岡 2ヶ
2 加美遺跡 大阪市 大阪
3 瓜生堂遺跡 東大阪市 大阪
4 大和郡山市八条北遺跡 大和郡山市八条町 奈良 4ヶ
5 天理市南六條遺跡 天理市南六條町 奈良 46ヶ
6 柏木遺跡 奈良市 奈良 18ヶ
7 阪手東遺跡 田原本町 奈良 17ヶ
8 土橋遺跡 橿原市 奈良 24
9 歳勝土遺跡 横浜市 神奈川 5ヶ
10 山賀遺跡 東大阪市若江西新町 大阪 7ヶ
まだ 収集して間なしですので、少ないですが、奈良と生駒西麓に見られます。京都の亀岡市にも多かったと思います。
代表で、加美遺跡の特徴を記しておきます。市は違いますが、加美遺跡は瓜生堂遺跡の東北に位置し、近くにあります。
場所 大阪市平野区 1984年12月25日
弥生中期(紀元前)としては、発掘当時としては、最大の方形周溝墓を発掘
①埋葬主体部が二重木棺。
②前漢の武帝が、支配した楽浪郡の古墳に見られる。
③現地表の3.5メートル下に埋まっていた。
④周囲をめぐる溝(幅5m、深さ1.2m)南北40m、東西28m。
⑤中の墳丘は、南北27m、東西15m、高さ1.9m。
⑥この墳頂上に13基の木棺(高野マキ製)を発掘。
⑦「五号木棺」は、長さ157cm、幅36cm、高さ30cm。
⑧⑦の外側に210cm・36cm・35cmの木枠がある。
⑨副葬品なし。
⑩頭骨、肩・腕・腰、足の骨がほぼ残っていた。
⑪頭部の朱が見られた。
同じ構造は、福岡県嘉穂郡穂波町の「すだれ遺跡」で二基発掘。
楽浪郡の古墳のものは、紀元108年。
方形周溝墓としては、近くの東大阪市の瓜生堂遺跡2号墳(全長12m)。
岡山県倉敷市の楯築方形台状墓(約70m)がある。
楽浪郡に住んでいた中国人がここに住んでいたと考えて良いのではないでしょうか。
どうして、副葬品なしがないのか・?
方形周溝墓と直接関係ありませんが、一番凄いことは、瓜生堂遺跡から出土した弥生時代前期・後期・古墳時代前期の土器についてAMS炭素年代測定を行なわれて、下記のような実年代が示されましたことです。(大阪府文化財センターパンフより)
・弥生時代前期・・・・紀元前8世紀~5世紀
・弥生時代後期・・・・紀元前1世紀~紀元後2世紀前葉、後1年~100年の期間が最も高い確率
・古墳時代前期(布留Ⅱ式)・・・・紀元後130年~350年
これまで、云われてきた土器による年代が異なることです。
どちらが、間違っていることになりますが、AMS炭素年代測定が正しいとなりますと、日本の歴史はひっくりかえることになります。
しかし、私が立てている仮説は、より正しい方へ向かうことになります。例えば、古墳時代はすくなくとも、100年は遡ることになります。
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