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歴史番外編 No5 おん祭 その2 [歴史番外編]

毎日新聞のWEB版に【五穀豊壌を祈る伝統行事「春日若宮おん祭」のクライマックス、「お渡り式」が17日、奈良市中心部であった】と書かれていました。
 確かに、藤原忠通は、五穀豊壌を祈って、春日若宮神社を建てました。その霊験はよく現れたのだと思われます。そこで、藤原忠通は、祭神の天押雲根命に、その時の芸能を神の前で披露して、喜んで頂こうとしたのだと思います。
 普通、神さんに来て頂くのを神迎え、そして、終わりに神送りをする行事をお渡りと云っています。ところが、春日若宮おん祭では、17日、16日から日が変わったところで、神さんをお旅所へ迎える行事が行われます。神さんは山から人里に降りて来られますが、たいまつを翳しながら、神主さんが、道案内をされるそうです。この火以外は、一切、使うこと無く、写真撮影も禁止です。神が移動される時は、他の神社でも深夜のようです。(来年は行ってみたいと思っています) 導かれた神は、お旅所に作られた仮御殿に入られます。この儀式を遷幸之儀(せんこうのぎ)といい、用意された仮御殿には、神が出御(しゅつぎょ)されるときに、見えないように、白の御幌(みとばり)で覆われるそうです。
 御殿に入られた神をお慰めするために、白い御旗と赤い御旗を持った4人を先頭に、行列は出発します。この旗を守る一連の人たちの列が続きます。この行列は、番外と言われています。その後、「日の使い」という人が、第1番に登場して、その後、第12番までの集団が、間を取りながら、行列が行われます。
全体の流れは、「日の使い」が、芸能人を引き連れて、パレードをするのですが、興福寺の南大門(跡)の前で、僧兵が居並ぶ前で、「前を通らしてもらいます」との挨拶のようなものでしょうか? 南大門交名(げうみょう)という儀式があります。
一の鳥居を過ぎた右側に、「影向の松」があります。なぜか、「ようごうの松」と読みます。能舞台のバックに書かれている松です。この松の前で、「松の下の式」と云って、芸能者は、芸の一部を披露することになります。芸を披露する場所は、参道ですから、その芸を観覧できる者は、ごく僅かです。進行方向の左(北)は、3列の人が見るぐらいしかスペースがありません。右側(南)は少し高台になっており、『大和名所図会』に描かれている通りの竹垣が作られ、有料で開放されていました。私は県庁前で行列を見て、すべてを見てから、この場に来ましたから、近くに行くことはできず、人の頭越しに、芸が披露されるのが見えたと言うぐらいでした。今度、行くとしますと、初めからここで見学すると見ることができます。「松の下の式」もすべの行列を見ることができます。その代わり、さて、何時間前から、待たなければならないか判りません。

 どうして、芸能と松なのでしょうか?
松の前を少し、通りすぎますと、左手にお旅所があります。お旅所の奥には、仮御殿が設けられ、その前を芝舞台と呼び、ここで芸能の披露が行われます。3時ころから始まって、10時半時頃まで行われるそうです。耐寒に対する備えは、万全のつもりでしたが、3時過ぎから雨模様となりました。昔の絵図では、芝舞台には建造物はありませんが、現在は、屋根がついた舞台が設けられていました。そのため、雨の中でも演技は続けられましたが、ここでも、この行事を見ることが出来る人は、前の3列ぐらいの人で、祝詞や謡が聞こえるぐらいでした。8時まで頑張っているつもりでしたが、寒さで脚が棒のような感覚になり、6時に帰宅することになりました。
【おん祭心残して帰路寒し】私の下手な俳句です。
芸能の奉納は10時半頃まで続けられ、シンデレラのように、神さんは12時を過ぎることは出来ないことになっているそうです。
 このようにして、おん祭は、天押雲根命に24時間の楽しみを味わって頂こうという祭だと思います。

 古式の装束をつけて町を練り歩く祭は、あちこちで見ることができます。京都の時代まつりも、その中の一つですが、京都のような華やかさはありません。静かなお祭です。


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